2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧

今日でお別れ

これまで勤務してきた学校とも、今日でお別れ。 残りの雑務というか、自分の机や身の回りの片付けで一日が終わりました。 お世話になった方々への挨拶や、ちょっとした宴会が催され、ご馳走になる。 定年で退職される先生方は、感慨もひとしおといった感じで…

近況

先日、村治佳織さんのコンサートに行きました。 アランフェス交響曲を生で堪能しました。 誰もが一度は耳にしたことのある名曲です。その曲が実は20世紀の現代に作曲されたということに、とても興味深い思いを抱いています。そもそもクラシックギターの現…

桜の季節に寄す

今年の桜の開花予想が例年よりも五日早まったというニュースを読む。 それはそうだ。こんなに暖かなのだから。 桜の季節がまたやって来る。 来月から新しい職場へ赴任する。初の異動である。 大変喜ばしく感じるとともに、結果として仕事を途中で投げ出して…

エッセイを書いてみた

今日も一日、仕事を無事終える。 特にこれといった成果があったわけではないが、こなさなければならない所与の課題を無事し終えたのである。一日が終り、ホッとする。それ以上に何をか望まん。 香山リカが、どこかで「仕事を無事終えて、今日も生き延びた。…

「がばいばあちゃん」をみる

昨日テレビで『佐賀のがばいばあちゃん』を見た。 突然広島から連れられてきた孫に「ついてきんしゃい」と言ってかまどまで連れて行って、いきなり炭を吹かせる。礼儀や作法ではなく、生きていくための方法を最初に教えるところが「すごい!」と思った。 「…

小5男児転落死・さいたま地裁

「バス運転の引率者に有罪=ドアロック怠る-小5男児転落死・さいたま地裁」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090311-00000048-jij-soci) の記事を読む。 ちょっと悲惨な事件だ。 高速道を走っているときに、小学五年生の男児がドアを開けて車外に放…

『自己チュー親子』を読む

諏訪哲二著『自己チュー親子』を読了。 この書の優れた点は、「自己」と「個人」の対比によって、現在の子どもたちや若者たちの(というか社会全体に瀰漫している)自己形成に関する喫緊の問題点をザックリと切りさばいたところにあるだろう。 この視点は、…

「自己」と「個人」

諏訪哲二氏の『自己チュー親子』を読んでいる。 「自己」と「個人」を区別する考え方に、大変説得された。 「そうか、そういうことだったか!」という感じ。 これまでウチダ先生のご著書で「等価交換」という言葉に何度も出会って、自分も知らずこの言葉を使…

「知るを楽しむ 星野道夫」を見て

NHK教育の「知るを楽しむ 私のこだわり人物伝」を見た。 星野道夫の第一回は写真家今森光彦氏の話。 もう、涙を流しながら見ていた。 なんでこんなに涙が出てくるのだろう、というくらい。 ぼくにとって星野は、あまりに尊い存在なのである。 ちなみに、…

子どもの問題

今日は大変悲しいことがある。 子どもたちのことだ。 学校は子どもたちが勉強するためにある。それを疑う人はいないだろう。 勉強とは何か。 それは、生徒が自己全能感をむきだしにした「自己」に埋没することなく、社会性をもった「個人」へと変容すること…

中川昭一氏について

中川昭一氏の飲酒会見問題が冷めやらない。 彼がアル中なのだとして断罪することが支配的な今日のマスコミ報道に対しても、いささか食傷気味の感がある。 こんなことになるくらいなら、酒など飲まねばよかったのに、彼はなぜ飲んで会見なんぞに出たのか。 そ…

下流志向についての試論(1)

子どもたちは、二極化してきています。 一つには、学校的価値観を内面化し、従順で、学習意欲を持った子どもたちがいます。こうした子どもたちは、教師に対しても大人の振る舞いをし、対話が成立します。 一方の極に、教師に対して距離を置き、かつ従順なら…

the water is wide

The Water Is Wideという曲がある。お気に入りの一曲なのだが、そもそもの出会いは「ガイアシンフォニーの第三番」星野道夫のシーンで流れるのだ。星野を永遠に失ってしまった悲しみとクロスして、その旋律は、なんともいえない物悲しさを漂わせている。 代…

白洲次郎のドラマを見て

昨日の夜、白洲次郎のドラマを見ました。 少年時代の犯行ぶりとか、父親への反抗とか、「ドラマ」になっちゃってる感は否めませんでした。もともと「ドラマ」と言ってるんだから文句言えませんけど。 それでも、白洲次郎が近衛文麿に盾突くシーンは、なんか…