「がばいばあちゃん」をみる

昨日テレビで『佐賀のがばいばあちゃん』を見た。
突然広島から連れられてきた孫に「ついてきんしゃい」と言ってかまどまで連れて行って、いきなり炭を吹かせる。礼儀や作法ではなく、生きていくための方法を最初に教えるところが「すごい!」と思った。
「貧乏には二種類ある。一つは暗い貧乏で、もう一つは明るい貧乏だ。うちは昔からの貧乏だから自信を持て」
おお、なんとすごすぎるばあちゃんだろうか。自分の運命を受け入れて、全てを肯定して生きているのである。こういう生き方に、多くの人が感動したのも無理はない。

今日なんとなくテレビをつけていたら、N村うさぎが番組に出ていて、美容整形の映像に千原ジュニアが絶句するという場面が流れた。ネットで探して僕も見た。
う~ん、すごい。
この手術を受けて、美と若さを手に入れるっていうのは、すごい。
N村うさぎは、身体の要求ではなく、脳の要求に従ったのだろうと思った。美を求めるのは、身体ではなく、脳だからである。美容整形が自然に逆らっった人工の構築物であることは象徴的だ。N村うさぎは、自然の側には立たないだろう。とことん、人為や人工といった脳の産物に依拠する生き方を目指すのだろう。自分を人工物にしてくこと。身体を道具とみなすこと。それは、この父権性社会のドミナントイデオロギーである(ウチダ先生がそう仰っている)。
であるとすれば、「N村うさぎ」は、フェミニストではない(たぶん)。
むしろ、父権性社会を生きる「女」の実験劇場として「N村うさぎ」という架空の実在を作り出したのである。その行き着く先に何が待ち構えているかは未知である。
いずれにしろ、僕は、そうした生き方よりも、がばいばあちゃんの哲学に触れる方がはるかに元気がでる。