河合隼雄『大人になることのむずかしさ』

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河合隼雄『大人になることのむずかしさ』(岩波現代文庫)を読む。
1983年の出版というから、かれこれ30年以上も昔の本だ。
これがマンションなら、築30年以上ともなれば、相当ヴィンテージ感があるだろうが、
河合隼雄の本は、今読んでも古さを感じさせない。
それだけ、射程の長い論考になっていると言えるだろう。



河合隼雄によれば、現代において大人になるのが難しのは、未開社会のようなイニシエーションによっては大人になることができない社会を生きているからである。
成熟社会と呼ばれる現在、社会は刻刻変化し、変化に合わせて大人の定義も変化していく。
そのとらえどころのない状況の中で、大人への変化を個人個人で完了させなければならないということだ。

友だち関係について、「影の共有」ということが指摘されていた。
自分の影(負の側面)と対決を避け、同じ影を持つ友人と戯れることで、影から目を背けようとする。
一緒になって誰かの悪口を言い合ったりする。
そのような関係は、本当の成長を阻害することになる、と河合は言う。
だから、そこから成長するためには、そうした影の共有関係を解消しなければならない。
あるいは、対決しなければならない。

こう書いて思い出すことがある。
自分が、どれだけ友を傷つけ、友を失ってきたか、である。
傷つけた相手は、男だけでなく、女もいた。
その後遺症が、自分の中で尾を引きずっている。
傷は瘡蓋(かさぶた)になり、それが昔は生々しい痛みを伴う傷だった痕跡をとどめている。
友と呼べる存在を持たずに生きている。
どこか自罰的になり、孤立を好むようになった。
でも、今日も駅を歩きながら、あの人は今頃どうしているのだろう?と思った。

多くの仲間を失い、自分を損ない、そうこうしている間に不惑を過ぎ、
今自分は何をしているのか。
まだまだトンネルの中を彷徨っている気分だ。
やはり、その意味を自分の中で何かに昇華させていくべきなのだ。
自分の影と対決すべき時にいるのだ。
きっと、自分の影を克服し、乗り越え、その先に新たな創造が待っている。
その時初めて、僕は僕なりに大人への道を歩んでいると自信を持って言えるにちがいない。