独学と生涯学習社会

今の社会の動きは、高速ハイウェイに譬えることができる。
学校は、教習所内のダミー道路だ。
僕たちは、学校での教育を経て、社会へと放り出される。
これは、まさに教習所内でS字クランクとかを練習させられた後、仮免許を取って一般道を走れるようになり、最終的には免許をもらって一般道や高速道を走れるようになるのと似ている。
今も社会は、様々な車が、様々な目的のもとに走っている。
それを横目に見ながら、教習所内で車の運転を学ぶ。
一度社会に出ても、うまく車を走らせることができなければ、もう一度教習所に戻って、自分の課題克服に向けて運転練習をする。
今の社会は、本当に複雑に車が走っている。
あの車列の中に自分も交じって、目的地に向えるか不安である。
高速ハイウェイなんか、恐ろしくて走れない。
そう思いながら、高速ハイウェイを横目に運転の技術を磨くのだ。
大人になって学校を卒業しても、横目で高速道路を睨みながら、運転の練習をしているようなところがある。
つまりは、ペーパーですね。
でも、多かれ少なかれ、多くの人は、自分の乗りなれた道しか走っていない。
知らない道路は、専門外だからと言って、通ろうとはしないのだ。

しかし、社会は複雑になり、混迷を極めている。
いろいろな道を避けることが難しくなりつつある。
いろいろな道路を縦横無尽に走らなければならない。
だから、いろいろなことを学んでおいた方がいい。
僕は、書斎にこもり、一人ナイフを研ぐように(THE BOOMの「手紙」参照)、周到に準備する。

社会の全てを隈なく知ることなんてできないから、書物とメディアを頼りに、様々な情報に触れ、自分の内側で情報と格闘する。
もう学校を卒業してしまたので、一応自分ひとりの力で運転しなければならない。
それが生涯教育ということの意味だろうと思う。
学ぶための道具は、一応全部整っている。
図書館、書店、インターネット、テレビ、映画館、講演会、大学の講座、市民講座、カルチャーセンター。
その気になれば、何でも学べるのである。
生涯学習社会とは、誰もが独学で歩いて行かなければならない社会のことのように思われる。
もはや頼るべき地域や依存すべき集団をもたなくなったエグザイルな個人が、独学を武器に、社会を渡り歩いていくしかない。