100円ノート術について思う

A6サイズの100円ノート術には、ここしばらく関心を持っているのだが、
実際的にこのノートを活用できているかというと、どうもそうはならないでいる。
なぜだろうか。
まず、ぼくの基本的な携帯用のメモ帳は、A7リングメモであるということ。
これが、メモ帳としては今のところベストなのだ。
誰が何と言おうと。
無印であれライフであれ、このサイズだとYシャツの胸ポケットに収まるのが、何よりも嬉しい。
このメモ帳さえあれば、会議に出席するときだって、はっきり言って手ぶらでもなんとかなる。
それに対して、A6ノートは「ノート」なのであって、メモ帳ではない。そこがこのノートの性格を考える上で重要である。ノートというのは、基本的にストックである。
それに対して、メモはフローであろう。
これを別な言い方で言えば、メモは何でも書いていいが、ノートはひとつのテーマのもとに寄せ集められた情報のユニットではないかということだ。
以前紹介した本の100円ノート術は、ノートを「メモ」として捉えているのではなかったかと思う。
しかし、ぼくにとってノートは「ノート」なのである。そこが噛み合わない最大のポイントになっている。
ノートは一つのテーマのもとになされるのがよい。というのは、きっと和田哲哉氏の「多ノート派」の考えを受け継いでいるからであろう。(ちなみに和田氏の本は、現代の知的生産の基本文献なので、未読の方は是非読まれることをおすすめする。)
ノートというものを、どう生かし、どのようにして生活の中に生かしていけるかが、知的生産の鍵であろう。それなのに、ノートの使い方を指導する教師は少ない。(だからなのか、ぼくは子どもたちに安易にノートを使わせたりしない。ノートの使い方を指導してからでないと、ノートが落書き帳になってしまうんじゃないかと思っているからだ。)
ノートの活用を、知的生活と結びつけることのできる、そんな学習の豊かさを生み出せるならば、その教科が何であれ、その教師はまさしく教育のプロであろう。

ところでぼくは、子どもたちにノートを持たせず、学習記録用のファイル1本だけで通している。
これをどう処理するか。
大村はまは、目次やあとがき、それに表紙をつけたものを整理して、リボンで綴じさせて、一冊の本を作らせた。
ぼくは製本に興味があるので、ステープラーと製本テープによる簡易製本をさせたいなと思っている。
リボンで綴じたら、書棚に立てて収納し難いけれど、「製本」すれば必ず立てて収納できるからである。もちろん、ファイルに綴じて収納するということもあるのだが、それだと単元(ユニット)ごとにまとめさせることができない。公立学校では、いちいちファイルを買わせるわけにいかない。
それで、簡易製本が今のところベストなのではないかと思っている。

学習記録を製本する過程を楽しみ、実際に出来上がった本をもとに自分の学習を振り返る。そんなことで、ちょっとした達成感を味わえ、また学習が身近に感じられるようになるとすれば、それは何より素敵なことではないか。
そして、ちょっとものを考えて、自分だけの考えを広げていく自信のようなものを持てたら、その裏づけのようなものとして学習記録を見返せたら、子どもたちの成長が、より確かなものになるのではないか。そんな期待もあって、学習記録を製本させたいと思っている。