多ノート派を追求したら

手帳やノートに興味ある吾人にとって、究極の一冊を目指すか、それとも多ノート派(複数のノートを同時進行で使う流儀)かは、大きな分かれ道でしょう。
このジャンルに関する最近の論客を大きく分ければ、
樋口健夫氏(『仕事ができる人のノート術』)や、
奥野宣之氏(『情報は一冊のノートにまとめなさい』)や、
美崎栄一郎氏(『「結果を出す人」はノートに何を書いているのか』)
の三人と、
和田哲哉氏(『文房具を楽しく使う ノート手帳編』)
に分けて考えることができます。
 
前者三人が、ノートを時系列で一冊にまとめることを主張し、
後者である和田氏だけが、ノートの分冊、複数同時利用を唱えています。
※ 美崎氏も似たようなことを言っているのですが、彼の「母艦ノート」のコンセプトは前者のカテゴリーですので、その中に入れています。
 
僕は、基本的には和田氏の考えに賛同しています。
つまり、ノートは複数持つべきだ、と。
とはいえ、複数のノートを持つのは嵩張るし面倒だという意見があることも承知しています。
ですがノートには個々の役割があります。
統合ノートや、一冊にまとめられたノートというのは、僕には雑記帳あるいはメモ帳の域を超えません。
そんなノートは、あとで別のノートにまとめ直して、その後はポイしてしまえばいいんじゃねぇ?
くらいの意味でしかありません。ですから、樋口的意味での一次ノートともいえるでしょう。
これは樋口さんにとっては逆説的な意味に捉えられるでしょう。
樋口さんは、計算用のノート、あるいは漢字練習超など、記録ではない練習用ノートが一次ノートなのでした。
そして、考察や反省、記録やアイデアを記したノートこそ保存に値する三次ノートだと言ったのでした。
それが一次ノートだと僕は言いたいのです。
 
それはどうでもいいことです。脇に置いておきましょう。
ノートの使い方が、今後の知的生産の現場において重要なことは明確です。
そのことを自覚したうえで、面白い知的活動を行い、レポートすることができた場合、多くの賞賛が得られることは間違いないことです。
多くの方のトライを待ち望んでいます。
別に僕が言うことではないのですが。