新たな「知的生産の方法」を求む

8月も下旬にさしかかり、夏も後半になりましたね。
「もう夏も終わったか」とお思いの御仁も多きことと思いますが、僕はしぶとく「まだ終わっちゃねーぞ」と息巻いています。
最近「手帳とノート」の活用について反省してみました。
今年はあまり手帳を活用できていません。スケジュールに細かく書くことがないので、確認作業も減り、結果として閑散としています。別にそれはそれで悪いこともないのですが。
で、ノートの方はというと、より一層混乱しています。混乱というのは、書いている内容ではなく、方法論をめぐってです。
樋口健夫さんは、「アイデアも資料も住所録も備忘録も何でもすべてを一冊に収める」ということを実践されて、それを「統合ノート」と名付けました。大変面白かったので、このブログでも紹介し、樋口さん本人からもコメントをいただいたことがあります。(興味ある方は過去のコメントをご参照ください)
で、最近のノート術の流れはというと、「一冊にまとめなさい派」と「分冊派」の対立軸で語られることが多かった。特にビジネス書の世界で。一方で受験界からは「東大ノート」(太田あや)なる概念が提出されました。
どちらも興味深かったですが、読者の数に比べて、個々の知的生活にどれほど大きな成果があったかについては、まだ検証されていない感じです。
また、「モレスキン」に代表される高級文具志向(嗜好)が事態をより一層複雑にしています。
その多くは単なる嗜好・トレンドの問題に過ぎなかったのではないでしょうか?(モレスキンを使えば、知的生産が上がるわけではないことは自明です)。僕は別に、文房具にお洒落さやトレンドがあってはいけないとは言いません。そこが入り口となって、多くの人が知的生産に励み、また文房具界も様々な商品が開発されるのは、とても好ましい現象です。しかしながら、より重要なのはモノではなくシステムです。無人島でも出来る方法論です。
 
現代は多くの情報が溢れています。溢れすぎです。
みんな溺れている状況ではないでしょうか。
そんな状況において、賢く生き抜く知恵(知的生産の技術)が、本当に必要だと思います。
梅棹的なパラダイム転換が、現代において再度要請されています。しかし誰もそれを今口にしません。
ビジネス書関連は、二番煎じ・三番煎じの嵐が過ぎ、もうネタ切れ状態で窒息死している状況でしょう。
文房具関連では、もう新製品ネタが尽き始めています。
問題は、方法論的提案が少しもないことではないでしょうか。
これから2012年手帳や、ノート関連の話題が少しずつ出てくるでしょうが、方法論的提案がなければ、この市場も縮小していくに違いないと僕は思っています。鍵は「方法論」です。「知的生産のシステム」ということです。
そこに注目していくべきでしょう。