今日のYahooニュースによれば、韓国ではノースフェイスのダウンジャケットが格差の象徴になっているとのこと。最近、高校生の略奪事件があって、ノースのダウンを着るものは、そうした略奪のリスクを承知の上で着ているそうだ。馬鹿馬鹿しい話だが、そんな格差やヒエラルキーを、我々日本人が馬鹿にできるかどうか・・・?
格差の象徴として、なぜミレーでもカリマーでもグレゴリーでもなくノースなのだろう?という疑問は拭えない。
アウトドアおたく以外にとっては、どうでもいい問題かもしれないが。
しかし気になる。
少なくとも日本と似通っている。
こういうヒクいレベルの問題が発生する要因は、専門家の分析を待ちたいが、そのうえで言いたいのは、もっと上を目指せということ。それは韓国だけでなく、我が国日本にも言えることだ。
自国の狭い価値観をすべてと思い込む傾向が一般的に見られるが、それは世界的視野から見たらおかしいんだよとアナウンスできる人、そういう恵まれた境遇にいる人こそ発言力をもって活躍してほしい。
そういう人が少な過ぎるのが、現代日本の世の中。みんな周りを見て、周りに倣えを実行している。
衣服が、格差を生み出す象徴的役割を果たしていることは異論ないだろう。
いまやアウトドアブランドは、そうした格差社会の最先端を走るアイテムになりつつある。
ブランド選択が、自己のアイデンティティそのものとなっている。
そして、社会的階層の低いものたちが、より一層、ブランドの信奉者でもあるということは、きっと間違いのないことである。であるならば、ノースフェイスほど、低い階層によって支持され、それによって維持されていることを肝に銘じておくべきである。
僕は、最近のノースはイメージ戦略に走りすぎていて、実質が伴っていないとみているがどうだろう。