鬱々

今日はとても天気がよかったけれど、あまり活発に活動もせず、鬱々と一日を過ごした。
鬱々と言えば、今日何かの雑誌で萩原流行氏のインタビュー記事を読んだが、氏も鬱々とした日々を過ごしていたなどと書かれていた。
考えてみると、鬱々している人が多数の時代ではないかと思う。職場でも長期欠席している人が一人や二人いるのはざらではないだろうか。
ぼくの場合は単なる鬱々気分というだけなので問題は軽いけれど、鬱病の人の場合は事態はさらに深刻だろう。最近は職場を去る医師が多いのだとか。医療の現場では「無言の抵抗」が行われている、と朝日新聞には書かれていた。教職だって例外ではないのかも知れない。もっとも教職の場合、医師のように診療所をひらくなどして独立するようなことがしにくいので、無言の抵抗というより、引きこもりに近い状況になってしまうのかも知れない。実際そんな印象を持っている。

景気は上向きだとか言うけれど、職場環境は少しも改善されておらず、ますます追い詰められている人が多いように思われる。これは特定の職場に限ったことではないのかだろうか。だとすればそれは今の政治が悪いせいなのだろうか。

格差社会」という言葉が気になっている。
先日も「ガイアの夜明け」について書いたけれど、格差が今後も広がっていくことは確実なように思う。こんな社会の中で生きていくことは、あまり希望を持てないと感じる人たちが確実に増えていくのだろう。だからこそ、民主党のCMが「格差社会このままでいいですか?」といったアピールになる。
東大進学者の家庭の年収は一千万を超えているということが昨日の朝日新聞にも載っていた。(このことは決して耳新しい話題ではない。)特定の層に資金と文化資本が集中してしまっている。問題は、この集中が固定化してしまい、努力で逆転など出来なくなっているということだ。これが「格差社会」のいちばんの問題点ではないだろうか。(これは日本がアメリカに似てきているということだろう。逆転が不可能に見えるからこそ「アメリカン・ドリーム」という言葉が生まれてくる。ならば「ジャパニーズ・ドリーム」といった言葉が生まれる日もそう遠くないのかも知れない。)
都知事選で落選した浅野氏は「不利益を被っているのは福祉と教育分野の一部の人たちにすぎず、今の大勢に反旗を翻す無党派層の流れが生まれなかった」といった内容のコメントを述べているが、これは暗に主権者の意識の低さを言っているようなものだ。現都政の問題点をもっと抉り出すべきだったのに、それが出来なかっただけではないかと言いたくなる。SFCの学生たちは、浅野氏をケーススタディとして分析することから始めさせられるそうなので、その点をはっきりさせたらどうだろう。