金子兜太、文学同人と文学のゆくえ

ETV特集「94歳の荒凡夫~俳人金子兜太の気骨~」を見た。
先週亡くなった金子兜太氏を追悼し放送されたものである。
映像を見て、金子氏の生きて動く姿、生の言葉に感銘を受けた。
その生き方、実直なものの言い方が、まっすぐ心に入って来る。
日本銀行を定年まで勤めあげながら、俳人としての人生を並行して歩んできたということにも、何か大きな示唆を受けた。カフカのことが頭に浮かんだ。

今の時代において、仕事と並行して文学同人に身を置き、社会と対峙しながら思索する生き方を、いったいどれほどの人が実行できているのだろうか?
そもそも、文学同人なるものが存在しているのか? ネットで調べたところ、同人の会は複数あるようだが、同人誌出版の経営は行き詰まりのようで、かなり下火になっている印象だ。朝日カルチャーなどの創作教室にでも通うのが現代流なのかもしれない。でも、もっと切実な、志を持った仲間が集まるようなイメージが、文学同人に対してある。今の時代の空気は、文学同人のような生真面目な人たちにとっては生きにくい時代なのかも知れない。社会は、文学同人を育てるゆとりを失っているのかも知れない。しかし、こういう時代だからこそ、と立ち上がる文学同人もいるのではないかという気がしなくもない。
いずれにせよ、文学は冬の時代になっている。しかし、時代の問題をとらえ、表現していくことが文学の使命でもあり、時代がいかように変化しようとも、それに合わせて文学は生き残っていくのではないか。