同調圧力から逃れて

上田紀行氏の『生きる意味』(岩波新書)を再読している。
十年前に書かれた本書だが、『友だち幻想』と問題意識が重なる部分が多いようだ。
僕なりに、まとめてみよう。
現代日本は、同調圧力の高い社会だ。そして、この同調圧力によって、個は疲れ切り、生きる意味を喪失している。お互いに神経をすり減らす同調社会は、誰も幸せにしていないように見える。それなのに、なぜ?と思うわけだが、その原因論は、ここではひとまず置くこととする。
菅野氏が言うように「併存可能性を模索することの重要性」に僕も賛成だ。
例えば職場などでも、誰かを批判するような言辞は大いに慎まなければならない。誰かを刺しても、(その時は留飲が下がるとしても)結果的には何の得にもならないことは明らかだ。感情的になったり、はずみで不用意な言葉を吐くことも慎むべきだ。そういう言葉は、何も生み出さないばかりか、自分に跳ね返って来る。
これは道徳論ではなく、処世訓である。
みんな分かり合える、仲良くなれる、と考えることも幻想であり、そういう考えが、ある意味同調圧力を作り出している。そうではなく、一人ひとりが互いに距離をもって付き合い、互いを追い詰めたり傷つけあったりすることなく、適切な場の共有をはかっていくこと。それが「併存」である。
「共生」が理念的・イデオロギー的なのに対して、「併存」は処世訓であり、生存戦略である。しかし、生存戦略を馬鹿にしてはいけない。今求められているのは、生存戦略に他ならないからだ。
今の時代、個の自由が極限まで開放されている一方で、職場や学校は偶然居合わせた人たちと一緒にいることを強制される。気に入らない人間だっている。そんな集団の中で同調圧力に苛まれる。それは自由を手に入れた現代の個人にとって、ものすごくストレスフルだ。その同調圧力に病んで、集団から離れられない人間の何と多いことだろう。
不安にかられて集団にぶら下がっているより、そこから離れて、自分が自分らしくあることのできる時間を大切にすることが大事だと思う。それは、家族と過ごす時間だったり、友や仲間と過ごすことだったり、一人で過ごす時間だったりする。そして、そういう時間が何より大事だと思う。
その意味では、僕たちは、ぶれない価値基準を持っていなければならないのだろう。刻刻と変化する集団の色に染まるのではなく、集団を相対化しながら、今、ここに自分らしくあることができるように。