暉峻淑子『社会人の生き方』

暉峻淑子『社会人の生き方』を読み始めた。
わしたちは、「社会人」としての心構えもないまま社会に放り出される。
しかも現代のグローバル過当競争社会では、組織や自己利益を優先し、社会全体の利益に気が回らなくなる生き方を強いられる。そんな状況に警鐘を鳴らす。
本当は、私たちは他の人々とのつながりのなかで、共存共栄を目指していくべき存在である。
それが「社会人」になるということであり、人は生きている限り永遠に「社会人」を目指していくのだと、暉峻氏は述べる。
本書の第二部では、「社会人」として、どう社会と向き合っていくべきかの提案が書かれており、とても意味深い。
まだそこまで読み進んでいないのだが、今のタイミングで本書に出会えたのは幸いである。
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8月4日(土)
本日読了。とても素晴らしい本だったが、今の日本が大変危ないとも感じた。
政治は、森友や加計に見られたように、忖度と取り繕いが幅を利かせ、公正さを失っている。
新自由主義の名のもと、市場原理と競争が称揚され、弱者切り捨てが進む。
格差社会無縁社会という言葉が広く浸透した。
相模原での障害者殺傷事件もまた、障害者を生産性のない弱者として切り捨てる思想を浮彫にした。
最近ではLGBTに対する政治家たちの心ない発言が耳目を集めた。
全ての人々にとって生きやすい社会を目指そうとする意志が、政治家たちにも希薄だが、国民の意識も弱い。
国民の過半は、政治家任せ・他人任せで、威勢のいいことを言う人間をヒーローに祭り上げて神頼みするしかない偏狭なポピュリズムに陥っているのかもしれない。それは、民主社会に自らも参画するという意識が弱いことの裏返しでもある。その根底には、無関心が横たわっている。
あるべき社会の姿を追い求めて、社会に参画することへの無関心。
苦しんでいる他者への無関心。
もちろん、そうでない人たちもいる。苦しむ他者の痛みを自分のことのように感じて動く人たち。無責任な言動を繰り返す政府や政治家たちにNOの声を上げる人々。いわれなき差別や、理不尽な現実を呑まされようとしている弱者を救済するために立ち上がっている人々。

自分も何かしなければならないと思う。
閉じた職場の人間関係と自宅との往復生活に閉じこもっていては、本来的な社会性は培われないと感じる。
開かれた人間関係をもつことが必要なのだ。
様々な環境にいる人たちとの関係を切り拓くことで、本来の社会性を回復することにもなるだろうし、これまでの閉じた職場の人間関係にあくせくすることからは決して得られなかった生きる充実感も得られるだろう。また、それが今の自分にとって必要で自然なことのように感じる。