濃密な人間関係と出版文化

懐かしい曲。


昨日は「同調圧力」について書いた。これは『友だち幻想』(菅野仁)による。
「日本は同調圧力の高い社会だ」ということに多くの人が肯くだろうが、「分かっちゃいるけど、やめられない」といったところか。
誰も幸せにしないシステムなのに、未だに存在し続けているのは何故か。
かつての村社会の慣習の名残りか。
原因の分析は本題ではないので、やめておこう。
僕なら孤立を選ぶ。集団から離れるのだ。できるだけ一人の時間を持とう。孤立は孤独とは異なる、と昨日も書いた。心温まる関係性を築いたり、他者から承認される場と機会は、きっとどこかにあるはず。(といっても、そうやすやすと見つかるとも思えないが・・・)
少なくとも、今自分がいる「世界」が、とても狭いのだと考えることが必要だ。そして、その狭い檻に繋ぎ留められないようにするべきだ。逃げることだ。
特定の誰かに依存してしまうのもよくない。絶対の唯一神にすがりつくのもどうか。新興宗教にハマるのは気をつけよう。
他者との関係の築き方は、もっとドライな方向に向かっている。村社会的な濃密さ(重圧とプレッシャー)は、もはや否定の対象でしかない。しかし一方で、濃密な師弟関係や兄弟関係のようなものも、これまた成立しにくい時代なのではないだろうか。
(そうした関係を求めるのは勝手だが、求められる方はしんどくてたまらない。極道のような世界にはまだあるのかも知れないが)
だから、自分以外の「他者」との関係を、ゆるやかに、ドライに、結んでいける柔らかさが、これからの生きる方策なのだと僕なら結論付ける。
その一方で、書物を通して、古今東西の知性と対話することが、ある意味濃密な師弟関係を取り結ぶことの代替的行為になっていくのかも知れない。
本は売れない時代かも知れないが、消費されて捨てられるような「情報」の価値が相対的に下がっただけだ。出版文化が、軽い「情報」より重厚な「知」を見失わない限り、きっと現代の「迷える子羊たち」が出版文化を支えるに違いない。迷える子羊とは、つまり現代に生きる我々すべてのことである。