『文鳥』を読む

「昔、美しい女を知っていた」とある。
この女の縁談がきまった後に、その人の帯にちょっかいを出すエピソードが書かれている。
話の結末近くになると三重吉と「例の件」で話し合うとあり、その「例の件」が三重吉の姪だか誰だかの縁談話であることが暴露される。そこで漱石は「若いから行けと言われればその気になってどこへでも行くが、行くのは簡単でも出るのは難しい。だからよく考えるべきだ」と言い、「世の中には、自らすすんで不幸になりたがる人が多くある」というようなことを書いている。
表向きこれらのことは「結婚」をめぐって書かれているのだが、何も結婚に限定して解釈する必要はない。
この記述から漱石の結婚観を云々することは容易い。
文鳥漱石の恋愛の対象、あるいは性的対象としての女性のメタファーととらえ、その死に対する苛立ちの話として読むのも実に分かりやすい。漱石は、あからさまにそのように描いているのだから。
文鳥を死なせてしまって、手伝いの女(下女か)に八つ当たりする自分を客観的に描写しているところは見逃せない。漱石は分かっているのだろう。誰のせいでもないということを。もし罪があるとすれば、きっとそれは自分にあるのだということを。
漱石の、どうにもならない心のふり幅の大きさと揺れのようなものを感じる。