勉強の方法

新しい分野の勉強を始めることは、新しい語彙を獲得することでもある。
言葉を持つことで、人類は時空を超えたコミュニケーションが可能となった。
言語の獲得というのは、人類史的な課題であったと同時に、個人史的なプロセスでもある。
ちょうどヘッケルが「個体発生は系統発生を繰り返す」と言ったのと似たように。
僕たちは学びの中で、どのように語彙を獲得し、獲得した語彙を駆使して何を表現し、どのように他者とコミュニケーションをとっていくのか。その過程こそが成長の徴なのだと思う。
何かを勉強するとき、自分がどんな語彙を獲得できたかを指標にするのは有効だ。

一方、学びにおいて大事なことは、整理術。
物理的な整理と思考の整理はおそろしく相関している。
だから、物理的な整理をさぼってはいけない。
ミニマリストであることは、単にモノが少なければ良いというのではなく、物理的な整理が可能な範囲にとどめておくということだろう。自己の能力を超えてモノを持つから、散乱する。整理システムが崩壊する。そのような状況では、まともに集中して考えるなんていうことは無理だ。
モノをすっきりさせて、結果として思考もすっきりさせることが、勉強の屋台骨になる。
考えるべきことがはっきりし、集中して勉強することができるだろう。

まだまだ勉強において大切なことはありそうだ。
例えば分類、収集、ナンバリング等。
思考とは、分類する知恵みたいなものかも知れない。
あれとこれを区別すること。違いを見出すこと。違いを分析すること。
「違いが分かる男ネスカフェ」の宣伝文句じゃないが、違いが分かることが大事だ。
このことについて考えるとき興味を引くのは、クリアフォルダやクリアブックの活用だ。
情報を分類するツールとして、クリアブックを活用するのである。
ほかには収集。情報を収集すること。ある意味、知識を集積することとは、情報の収集に他ならない。集めて、分類する。分類して、集める。こういう作業は、オタクになってやると面白い。
バートランド・ラッセルは、知的余暇としての「収集」を推奨したという。例えば切手集め。ラッセル自身は「川集め
」(?)をしたそうである。
ナンバリングも、要点を捉える力において重要だ。
たとえば、話をするときにも「ポイントは3つあります」と言ってから話す。すると、聞く方では、3つのポイントを捉えようと聞くだろう。それが要点を捉えるということである。ナンバリングして聞くことが、ナンバリングして話すことにつながる。こういう思考の習慣を持つことは、物事の要点を押さえて考えるセンスを養う。聞く力も話す力も高まるだろうし、書くときは章段を組んで立体的な文章を起こすことができるだろう。
ノートを書く時も、文章をダラダラ書く人は学力が低く、章段や見出しを工夫し、箇条書きなどですっきりと書ける人は学力が高い。これは経験的に感じていることだ。太田あやが「東大生のノートは美しい」と言ったのは、つまりそういうことだったのだろう。