図書館で考えた

図書館を書斎代わりにしている。
今日YAコーナーを見ていたら、なかなか面白そうな本が並んでいた。
中高生向けの本だが、大人が読んでもいい。
それに、専門書ほど堅苦しくなく、易しい文章でありながら、書き手はその道で名の通った専門家ばかり。
また、文系理系を問わず幅広いジャンルが取り揃えてあって、多岐にわたって一通り見渡せるところもよい。
だから、ノートとペン、またはノートパソコンを持ち込んで、ちょっとした勉強をすることができる。家に広大な書架や書斎を持てなくても大丈夫だ。
図書館まで二駅ほどあるが、電車に乗って少し歩くだけで書斎があると思えばいいだけのこと。
それにしても、これだけの本を通覧するだけでも、いかに自分の勉強の幅が狭いものだったか反省させられる。もっと野性的な読書が必要だ。自分の専門領域に限ってもそうなのだから、他の領域まで含めれば本当に甘っちょろい。大学受験生の方が、はるかに貪欲にストイックに勉強に向き合っているだろう。
これからは、幅広く本を見渡して資料を収集し、その中でテーマを捉えていくような、そんな読書の仕方も必要だと痛感している。
大村はまさんは、単元をやるのに半年の準備期間を持ったりしていた。それを考えれば、資料を集めるということが、本当に時間がかかるものなのだ。外山滋比古なら「熟成期間」と言うだろう。
そういう息の長いことをやろうとする活力が、やせ細ってしまったようだ。知的体力の衰えだな。
あまりに些末な雑事に追われすぎるのだ。
何のためなのか分からない形ばっかりの書類づくり。そういう仕事で忙殺されてしまっている。

何かが変だ。