正直さと覚悟

人は自分に正直にはなれないものではないだろうか。
一般的に「正直」というのは、他人に対して嘘偽りがないことだと思われている。
しかし、実際は自分に正直であることが最も難しい。
自分に正直でない人間が、他人に対して自分は正直であると考えていることは、ことのほか多いのではないだろうか。
他人に対して自分は真正直であると考える人ほど、自己欺瞞には鈍感かも知れない。
自分に対して正直であるかどうかのジャッジは、自分では難しいとも言える。
他人の視点を意識しすぎて、自分の本音をどこか脚色してしまう。自己演出に酔ってしまう。
そういう自己欺瞞が心に入り込んでくる。
どこまでも自分の心を偽らないならば、自分の醜さや卑劣さ、卑怯さや愚かさを直視しなければならない。
正直であることは、そういう強さが試されるとも言える。
それゆえに、自分に正直であることには価値がある。何より、心の落ち着きを得ることができるだろう。
日記を書くものは、死後に誰かに読まれても困らないような文章を書こうとしてはいけない。
こんな奴だったのだと蔑まれても仕方がないと諦め、自分に正直である道を選ぶのである。
それ以外に、その日記が真実である方法はない。
文豪の日記のように、死後に出版されてもいいようになどと考えて日記を書く奴は愚かである。

もう一つは、他人に蔑まれてもいいという覚悟を持つことである。
自分に正直であろうとすれば、自ずと自らの情けなさをさらさなければならないだろう。
もちろん、情けなさを露出する必要もないので、社会的な仮面を被って上手くやることも必要である。
それは一般的な意味では「正直」ではないだろうが、だから何だと言うのか。
そういう欺瞞は必要であって、それは他人への配慮というものだ。
ただ、自分に正直であろうとする人は、安易に他人に迎合しない。
他人に好かれようという邪な動機から自己を偽るのは、単なる自己欺瞞である。
体制に反しようが、多数派と離反しようが、自分はこう考えるということを隠さず正直に発言できる人間でありたいと思う。
その結果、他人に蔑まれることもあるだろう。
あるいは、勇気のある人だと密かな尊敬を集めることもあるかも知れない。
しかしそんなことを言うと自分まで村八分にされてしまうので、誰も共感を目に見えて示すようなことはしてくれないだろう。
それでいいのである。
誰からも共感を示されず、あからさまに軽蔑の態度をとられようとも、臆することなく自分の考えを正直に表明できる人間こそ、本当の正直さを持った勇敢な人間である。
僕はそういう人間になりたい。