『レジリエンス入門』

視力が低下した。もともと視力は良くないが、年齢だろう、老眼が進んできた。
もう日常生活にも不便を来たすレベルである。
今の視力に合った眼鏡(老眼鏡?)を作るべきかと考えている。
似た経験をお持ちの方も多いだろう。

レジリエンス入門』(ちくまプリマ―新書)に次の一節がある。
“他者のある一部だけを見て、うらやんだり、ねたんだりするのは、探せば必ず私たちのどこかにある汚れた部分と言えるでしょう。自分軸という独自の価値尺度を持っていないと、この考え方が強くなります。他者との比較で、ついつい自分に「ないもの」や「不足しているもの」などの劣っている点に目が行ってしまうのです。(中略)ただ、決定的な問題点として挙げられるのが、あれもこれもと欲張りすぎてしまい、絶えず「焦り」「嫉妬」「危機感」といったマイナスの感情をエネルギー源にしてしまっていることです。(中略)この考えに支配されてしまうと、際限なく自分を追い込み続け、いつしかラットレースと称される生き方をしてしまう恐れがあります。(中略)ラットレースの人生を送っていると、いつか必ず「私は今まで何をしてきたのだろう」と、自分の人生に疑問を抱き、ふと虚しさを感じるときが訪れます。失うものも多く、もっと大切な物事に時間やエネルギーを使うべきだったと、手遅れになってから後悔することになってしまいます。(中略)もし、みなさんがこの「劣等比較」という考え方が強いと感じるなら、一度、自分を冷静かつ客観的に見てみましょう。そして自問してください。「私にとって恵まれているものは何なのだろうか?」と。これを習慣づけるだけでも、「安心感」「満足感」「満たされた気分」などプラスの感情をエネルギー源にすることができます。”
自分の恵まれた点を考えることを習慣にするというのは、なんだか馬鹿げたことのように感じるけれど、そうでもしないとすぐ劣等比較に走ってしまう自分としては、参考になった。

今日は残っていたタバコを捨てた。十数年ぶりにタバコを吸ってみたが、あまりよくなかったのである。
ゴロワーズの味が合わなかったのか、そもそもタバコの煙に嫌悪感があるのか分からない。どちらでもいい。とにかく、タバコへの執着はあまりないことが分かり、それで満足。
視野が極端に狭くなっている。職場と家の往復だけの生活をしているうちに、世間が狭くなってしまったのだと思う。世間を広げたいと思う。