孤独と工夫

人生の大半は、孤独を紛らす工夫である。
どこまで一人であることに耐えられるか。
孤独死をする人が現実にどれほどいるのか分からない。
地縁も血縁も頼れない時代である。
コミュニティをどのように作り出していくのか。
内山節が、現代は高齢化の時代ではない。サラリーマンという人種が高齢化を迎えた初めての時代だ、と言っていたが、サラリーマンとはここでは地縁も血縁も持たない浮遊都市生活者という意味であろう。
やはりコミュニティー創造の問題とつながっていきそうだ。
人は、孤独であることによって不安を持つ。集団を作り互恵関係の中でこそ安心を得られるからである。
孤独の不安は、生存本能に組み込まれたシグナルなのかも知れない。
一方で、人は孤独を見つめないわけにも行かないのではないか。
人間が社会的動物だというだけなら、サルも社会的であり、象も社会的である。
しかし、サルは孤独を紛らわすために読書したりはしない。
孤独の中から何かを生み出すのは、人間だけだろう。