美容整形批判

最近は便利な世の中で、ちょっとググればいろんな情報に辿り着けるし、
YouTube等で映像や音声などのメディア情報が無限大数的に散らばっているので、
ちょっと興味を持てば、たちまちのうちにあまたのメディア情報を収集できてしまう。
まさにこの20年は「情報革命」が起きたと言っていいでしょう。
そこで、今日の話題は「美容整形」なんですが。
皆さんは「美容整形」というものを、どのように認識しているのでしょうか。
美容整形は今に始まったことではないし、また韓流ブームとあいまって、
「彼の国では買い物感覚で美容整形する」といった話も大分昔流布しました。
最近はテレビでも「扇風機おばさん」をはじめとした整形失敗事例が多く採りあげられるようになっていて、
誰もが一度は美容整形問題について触れたことがある、というのが現在日本の今日的状況であると思う。
 
いろいろネットで調べてみれば、日本の多くのタレントが実は整形美人であったということが分かり、
今さらながら驚きっぱなしである。まるで「売れるための条件が美容整形」であるかのごとき状況。
ただ、当然の帰結として、美容整形ブームの一方では悲惨な失敗事例も数多く存在している。
また、それをブログなどで公開している痛々しい例もある。
中村うさぎのような、知的に分析できる美容整形中毒者ならまだしも、
多くの女たちは、自分が整形中毒にはまるプロセスを、うまく自覚することができない。
そして、例外なく整形する動機自体が痛々しい。
確かに、巷にはプチな整形で劇的に可愛くなる事例の宣伝が溢れている。
こんなに別人になるの???と驚く事例があることは確か。
これは数少ない「成功例」であろう。
で、自分も!?的発想に陥る女が多いのだと思う。無理もない。
 
でも、この発想の背後には、実は大きな「難問」が隠れている。それは何か。
これは、「女」というものの社会学的な考察に属する問題なのだが、
社会的に形成される「女」というのは、中村うさぎが言うように、そもそも「病」であるということである。
男は、整形した女に、「女という病」の痕跡を見出す。
病とは何か。簡単に言えば、セルフエスティームが確立していない女ということである。
分かりやすく言えば、「自分がない」女ということである。
逆に言えば、それだけ「女」の自己形成は多分に難しいのであろう、ということだ。
他者の承認を欲する女の常として、「自分が可愛いければ・・・」と思ってしまう。
しかし残念なことに、その可愛さは、すでに誰かによって承認されている(とその女が認識した)女の可愛さを、
自分も手に入れたいという、模倣の欲求の形をとるのだ。つまり、可愛さへの憧れとは、未確立の自己の代償作用みたいなものなのである。
リスクを恐れず整形する女たちは、実はこの、他者模倣の欲求(すなわち自己の独自の価値の確立の回避)、自己承認の欲求(他者だけでなく、自分でさえ自分を愛せないという病。もっと言えば、そもそも「自分」がない。彼女らの自分とはそもそも他者に乗っ取られた歪んだ自己なのだ!)に苛まれ続けている。
不幸なことに、
自己の無い彼女たちの「自己」とは、他者の視線を100%内面化してしまった「歪んだ自己」なのだ。
 
漱石が、鏡子夫人とお見合いしたとき、「歯並びが悪いことを気にもせずに大きな口を開けて笑うところが気に入った」と言ったそうである。これは、漱石が、鏡子の「女」としての在り方の精神的健康さを見抜いた名言である。
これは是非知っておいていただきたいことだが、実は漱石は「女」の問題を執拗に考えていた作家である。
その漱石をして、見事に屈服させた鏡子という女の凄さは改めて評価されるべきである。
まぁそれは置いておくとして。
世の美容整形を考えている女性に言いたいことは、あなたが美容整形をしたい理由は何か?ということ。
あなたが自分自身を好きになれないと言うのなら、あなたは「他者に浸食された無自己な方だ」ということ。
自分をブスだと悲観するのは結構だが、ブスを悲観するあなたを好きになれない男が多いということ。
しかし、ブスを悲観するあなたを好きになれない男たちの中にこそ、あなたの救世主はいるだろうということ。
逆に言えば、あなたが自分の不細工さを気にせず、また気にしていたとしても、それをあっけらかんと喋り、
世の不条理を揶揄し、それでも神さまが与えてくれた人生の可能性を心行くまで謳歌し、他人を思いやり、
また自分の持てる可能性を最大限生かそうとするならば、あなたは誰かにきっと愛され、
また、その人間にとってあなたは必ず美しい人であるということ。
 
美容整形に走る女は、必ず「女という病」を病んでいる。
完璧な造形を持った女が優れていると信じているあなたがそこにいる。
老けて醜くなることを受け入れられないあなたがそこにいる。
でも、だれでも老いる。若い頃に比べたら醜くなるのだ、誰だって。