何が真実かなんて、簡単には分からない

朝、ちょっと職場で気になることがあった。
仕事に関してある確認をとるために話をしたところ、その方はなにか面倒そうに、あるいは不服そうな面持ちで受け答えをした。何か他に気がかりなことがあったのかもしれないが、あまり余裕がないんだなと思うことにした。
いずれにしても、確認をとるのは僕の仕事であり、それにどう答えるかは彼の問題である。
他人の問題を自分の問題と混同して、いちいち気にするのは馬鹿馬鹿しい。頭では分かるが、なぜか気になってしまった。自分の落ち度はないか自分に問い直したりもした。
まぁ、そういう繊細さというべきか、気の小ささというべきか、それは全く自分の問題である。

夜、ミーティングでいろいろな方の話を聞いていると、皆同じような些細なことで腹を立てたり、カリカリしたりして、そんな自分を笑い飛ばそうとしていらっしゃる。
そういう場があるのは救いだし、皆健気だなと思った。

今日は体調が悪いため、予定していた仕事を切り上げて帰宅した。
今週の予定は、もしかしたら来週に持ち越しになるかもしれない。(それでも何とかなりそうだと、大上段に構えている)

明日は休みだが、仕事らしい仕事は持ち帰らず、自分のために時間を過ごそうと思っている。
といっても、何かやろうという予定もなく、体を休めて、ぼーっと一日過ごしたりするんだろうけれど。
でも最近そういう非建設的な時間の過ごし方に罪悪感を感じなくなってきた。いい意味で無責任になれているというか、「あとは野となれ山となれ」と考えているからかも知れない。
人生そんなに焦って生きなくても、だいたいはなるべき方向に落ち着くものではないか、と妙に達観しているところも自分にはあるらしい。

そういえば、最近シャンプーを使わず、ヒノキの香りのする水を頭につけて頭皮マッサージをしている。
家人にやれと言われて仕方なくそうしているのだが、シャンプーが頭皮に良くないということらしい。
これまで、頭皮の脂を完全に落とすまで、シャンプーでゴシゴシ洗っていたのが、お湯とヒノキ水だけになったので、頭はだんだんベタベタしてきた。
しかし不思議と、乾燥すれば髪の毛はサラサラになる。
また、ヘアワックスなんか使わなくとも、てぐしで髪の毛が立つから面白い。
村上春樹が何かのエッセイで「禿げているホームレスの人って不思議と見かけない」と書いていた。
シャンプーなんか使わなくても禿げないとしたら「毛穴に脂がつまって髪の毛が抜ける」というのは、シャンプー会社の過剰宣伝だったということだろうか。
まぁ、何が真実かというのは、簡単には分からないのである。
自分で実験してみるのがいいのかも知れない。
真実を手に入れるのは、実はコストがかかるのである。
しかし、コストをかけて手に入れた真実だけが、本当に役に立つのだろう。