心配と自戒

担うべき責任や仕事(つまり、あまり得にならない、面倒な仕事)からは逃げるくせに、僅かばかりの小遣い銭になるような私的な要素の絡む仕事は率先してやる、功名につながる仕事ならやる、みたいな人間がいる。
問題なのは、割り当てられた分担の仕事を放り投げた結果、関係のない人間に責任が押し付けられたリすることだ。
どうしてこの仕事を自分が担当するのかよく分からないということがあった。
今にして思えば、押し付けられていたんだなと思う。
若いころは、「はい」か「イエス」か「がんばります」以外の言葉は許されないので致し方がない面もあるし、若いうちに苦労は買ってでもしろといわれるように、プラスの面もあるかも知れないが、そうした歪みを許したままだと、組織としてどうなのか?と思わざるを得ない。
そんなことで、組織の歪みを直すことが僕の任務の一つの課題になっている。

僕としては、仕事をサボっている、責任から逃げているというようにしか見えない人も、その人の内情ではそうするより仕方がない事情もあるのかもしれない。
だから、簡単に判断はできないが、その人にしてもらうべき仕事は「それはあなたの仕事ですよ」とはっきり言うことにしている。それで敵を増やすことになったとしても仕方がないじゃないかと自分では思っている。
はっきり言うことは決してその人を責めることではない、そこは区別しなければならないとは自戒している。

変な話だが、同僚の名前をすぐ忘れる。
若年性健忘症か痴呆症の萌芽なのだろうか。
家に帰宅すると、自分の仕事上の課題は頭にあるが、同僚のことは殆ど思い出さない。組織はチームワークだと言いながら、自分の中で同僚たちの存在が占める割合は極端に低いのかもしれない。結局自分はチームより個人で動く派なのかと思われる。

セミナーや研修会などで質問がないか聞かれると、自分に順番が回って来るまでに考えようと必死になる。その為に、他人が質問したことやそれに対する回答を全く聞いておらず、自分だけ話についていけてないということが起こる。
質問の最初だけ聞いて、「なんてつまらないことを聞くのだろう」と思い、それ以上聞く気がなくなってしまうらしい。それで、自分なりに質問をまとめようとする方に頭が占められる。
でも、これは悪循環というか無駄ではないかと今日は思った。
自分一人で聞いているわけでなく、他の参加者もいてこそのセミナーや研修会である。他の人の意見や問答の中にも考えるヒントはあるのかも知れない。
自分だけで考えていたのでは、独我論の世界ではないか、と。
で、こういうことって本当によくあるのだ、僕の場合。
仕事でも、自分の仕事に没頭して作業しているので、周囲の会話はほぼ聞いていない。正確には、最初は何とはなしに聞いているのだが、くだらない話だと思ってもう聞きたくなくなってしまう。だから、できるだけ耳に入っても無視するようにして、仕事に集中しようとする。職場で自分が浮いているのは、こういう態度にあるのだと思うが、その結果、自分だけ話についていけてない。ついていく気もないのだが、何か場の空気を支配している考えや動きにも疎くなってしまっているようだ。