佐川氏の辞任と西郷どん

年度末にさしかかり、ようやく仕事も終わりが見えてきた。
本当に辛い毎日だったが、なんのこれしきと乗り切ってきた。おかげで、我慢することを覚えた。また、じっと我慢しているうちに、発見できたこともいろいろあり、それが今の自分には、必要な経験だったのだと思う。
来年度の人事も発表になり、またこれからも大変な日々が続くのだろうが、とりあえずは区切りの小休止。ほっと一息つけると思うと気が休まる。
僕としては、どんなポジションであれ、自分に課せられたことを黙って受け入れて、もくもくと進めるだけだと思っている。しかし中には、不平不満を口にする人もいる。誰々と一緒に組みたくないといった不満なのだ。仕事は、誰とでも組まなければならないし、どんな仕事であれ最善を尽くさなければならない。そういう覚悟が必要だ。
しかし、そういう覚悟ができていない人間は、不平不満ばっかりになっていく。
そういう生き方は悲しい。
現代は、大人がちょっと幼児化してしまっているようだ。

佐川国税庁長官の辞任は、政府のご都合主義の成れの果てのような出来事に見える。佐川氏は、あれだけ護身の醜態をさらしたのだから、国民感情としては、辞めるべきという意見に賛成だ。一方で、とかげの尻尾切りにだけはしてはならない。野党の攻勢に期待する。
この一件を引き合いに出したのは、国の上層部が、その知性を公共的利益のために使うのではなく、自分や組織を護るために使っている問題を言いたかったからだ。そこには道義はない。国の上層にいる人間は、もっと道義心に基づいた行動をしてほしい。
西郷どん」を見ているが、あのドラマがとても熱くて面白いのは、西郷が道義心の塊のような男だからである。国を動かしていくようなキーマンである西郷が、どんくさいのに道義に厚く、小手先の知性ではなく、道義に裏付けられた強靭な知性をもった男であることに、視聴者は釘付けなのだ。
それは、まさに今のこの国が見失ったリーダー像である。
そして、今もなお維新の志士たちの熱き魂が不滅の価値を持っていたことを教えてくれるのである。