手帳ブームから何が見えるか

「手帳」イコール「時間管理」のように言われていますが、その意味するところや捉え方も十人十色のようですので、ちょっと注意が必要です。
「時間管理」という場合の手帳は、単なるスケジュール帳というわけでもない。その場合の手帳に記されるのは、あくまで未来の予定なのでしょうが、予定から逆算して自分の手持ちの時間を大づかみにでも把握し、目標達成までの段取りをはかるツールといった意味合いがあります。ここに手帳術の本質があるとお見受けします。齋藤孝さんの三色ボールペン手帳術が最たるものですね。
しかし、手帳は時間管理だけのものではないことも確かです。もう一方に「アイデアを書き留める」といった目的があります。今ほどアイデアを書き留めることに熱心な時代はなかったのでは?と思えるほどです。そこでメモ帳やモールスキンなどの【ノート手帳】が話題になってくるわけでしょう。
ノートの使い方というものを、学生以上に社会人が真剣に考え出した。歴史上、ちょっとレアなことが今起こっているのではないでしょうか。
周知の通り、「知的生産の技術」は1960年代からあります。ですから、ちっとも新しい話題ではないはず。それが今これほどもてはやされるようになったのには、それなりの理由がありそうです。
私見では、この手帳ブーム(知的生産ブーム)を下支えしているのはR35世代で、教育においてはマスプロダクト的な画一化とその反発を経験した(最後の)世代であり、受験においては無意味に競争に煽られ、就職においてはバブルのツケで超氷河期の憂き目を経験し、自己の境界を自ら確定できない不安定な自己を抱えた世代なのではないか。ストレスの多いわりに「突き抜ける」(ブレイクスルー)体験が少ない世代。であればこそ、自分の生を再確認する要求が高まってくるのではないか。手帳とは、ちょっとした自己確認的な様相を呈しているのではないか。
僕個人としても、そういった欲求が非常に高いのです。僕の下の世代は、もっとはっきりと峻別されてきているので、突き抜けることができた連中だけが、上の世代と同じ土俵に立つことができていると思います。突き抜けられなかった者たちは、きっとバイトや派遣で食いつなぐしかない道を孤独に歩んでいるのではないか。
数千円~数万円もする筆記具やノートに身銭を切るR35世代は、明らかに、社会の勝ち組に乗れたという誇りを手にするとともに、それと引き換えに、生煮えの人生の現状にカウンターパンチを目論む高等遊民ではないかと思っています。