読書の価値

最近「読書論」にはまっています。
世の中にはたくさんの読書法や読書術の本が氾濫しています。
でも、ハズレが意外に少ないジャンルなのではないかとも思います。

「読書」といってもいろいろです。
娯楽としての読書、暇つぶしとしての読書、趣味欄に書く読書。
でも、読書論が想定している読書というのは、ちょっと違います。
それは、簡潔に言うなら「精神的な緊張をともなう読書」といったものです。
かつて何かで目にした中上健次の言葉が忘れられません。
それは、「自分の休日の過ごし方」について触れたもので、
「ぼくの休日はホントに金がかからないんだ。だって、文庫本一冊とタバコひと箱さえあれば、喫茶店で何時間だって充実した時間を過ごせるんだもの」
実際この通りの文言だったわけではありませんが、ぼくの記憶の中にある中上の言葉を要約すると、確かこんな内容だったと思います。
読書論が想定している読書のスタイルをぼくなりにイメージすると、だいたい中上が言っていることに帰着します。でも、ぼくは、ペンとメモを携帯するのを忘れません。本を読むときは、線を引いたり、書き込みをしたり、そこでふっと思いついたことをメモ帳に書き留めたり・・・。そういうことをして休日の午後を過ごすのは、結構人生の至福の一つなんじゃないかと思ったりします。

ぼくはもともと一人でいることを好む孤独屋だってだけなのかも知れないけれど。

あえて弁明させてもらえば、友達とわいわいやるのも楽しいけれど、年を取ってくるといつまでも騒いでばかりはいられない、ですよね?!
本を読む行為っていうのは、意外に孤独で人生に対して懐疑的であったりするときが、いちばん沁み込むっていう感じがします。

それから、もう一つ付け加えるなら、文字として定着している出版物に向き合うことは、現実を作り出している様々な事象を解釈する上でのトレーニングになっているのではないかということです。ひとの知的生活一般において書くことは無数にあるでしょうが、基本は「読書ノート」じゃないかな?なんてひとり勝手に思っています。読書によって生み出される思考と言葉を記録する。それは日記であれば、現実を読む読書行為によって生み出される思考の記録でしょ?