読書会ブーム

世間では、読書会ブームなんだそうである。
僕も昨日とある読書会に参加してきた。フランスの哲学者のテキストをもとに、話し合う(より正確に言えば、感想や疑問を述べ合う)会だった。
読書会にもいろいろなスタイルがあると思う。
僕としては、何かテーマを絞って、議論が展開されるような読書会が好みだ。

どうして今「読書会」なのだろうか。

本を読むということは、一人でもできることだ。しかし、それを誰かと話し合うという経験は、一人では決してできない。
求められているのは「しゃべり場」である。(むかしNHKに同名の若者討論番組があったっけ)
人は「しゃべり場」を求めている。しかも、深い話がしたいのである。
少なくとも僕はそうだ。
昔なら学校や職場といった場が仲間と深い連帯をもたらしてくれただろう。しかし今は、昔に比べて、連帯力は弱まってきているのではないか。世間は情報にあふれ、世界は広がり続けている。もはや、趣味も個別化個性化し、趣味集団はネットを中心に新たな活動の場を見つけ出している。
話が脱線したが、要するに、学校や職場といった絆が古いものとなり、新たな人間関係のネットワークが再編されているのが今のネット社会というものなのではないかと言いたいのである。もう恋人選びも、結婚相手探しだってネットを活用する時代なのだから、あったり前田のクラッカーである。

さて、話を自分のことに戻そう。
僕は学校や職場に馴染めない口の人間である。
まぁ、人に迷惑をかけず、それほど邪魔扱いされない程度に礼儀正しく振る舞って、周りから構われず放っとかれる方が好きなタイプだ。自然口数も減る。
ただ、誰とも話したくないと思っているわけではない。むしろ逆だ。
表面的でお体裁ばっかりの薄っぺらい会話に耐えられない。世間の話題なんてどうでもいい。
もっと深い話ができないものだろうか。そう思い続けてきた。
だからこそ、趣味集団でもいいから、もっと別の人間関係のネットワークを構築したいと思うことになる。
そう思う人が大勢いるから、ネットを介して趣味集団が、それこそ無限の出会いの可能性に浮足立ちながら形成されているのだ。

そこで「読書会」である。
これも、新たな人間関係ネットワーク構築の可能性である。しかも、深い話をどこまでも突き詰められる「しゃべり場」の魅力がある。面白いことを考えている人間たちに出会えるという予感。それはとてもドキドキさせてくれる予感だ。そんな密かな期待に胸躍らせている人たちが、「読書会」ブームから垣間見えはしないか。