外山滋比古『読書の方法』

最近は、ロバート・クレイの「バッド・インフルエンス」http://www.youtube.com/watch?v=L8eTOvMiee0という曲が頭の中で鳴り止まない。本当にいい曲なんですが、ブラック・ミュージックが好きな人には、きっと共感してもらえるはず。この曲はクラプトンがカバーしたことで知られている。でも、本家本元のクレイの演奏が断然上です! すごくシンプルで余計なものが何ひとつない。それでいてボーカルの味が効いている。すごく「世界」を感じませんか? こういう曲が、ひとつの理想です。この曲はブルースの素養は必要ありません。言ってみれば、「乾きを潤す音楽」です。でも、あんまりカヴァーされていませんね。残念ですね。このボーカルの味が出せるギタリストは多くないのでしょう。

ところで、今日は本の話題です。
最近は、外山滋比古の読書論を読んでいます。今では古典に類する書物です。
「アルファー読み」と「ベーター読み」。本当に参考になります。国語の説明文や評論がつまらない、あるいは「わけがわからない」と思っている人がぶちあたっている壁が、「未知を読む」という「ベーター読み」です。既知を読むことは容易い。でも未知なことがらを読むことは非常に困難です。そして、いかにして未知を読むことは可能なのか? この問題は本当に今でも見過ごされています。未知を読むことが大切です。そのことを知っているだけで、ずいぶんと気持ちが楽になります。「国語が分からない」という生徒は、未知の事柄を文字情報によって理解したり考えたりすることがとても困難である、と表白しているにすぎないのでしょう。

教育とは、未知のことがらを、文字(記号)を通して理解する営みです。
「体験学習」がめざしているのは、未知のことがらをいかに既知にしていけるか、ということです。未知を既知に変えていくことを、普通「経験」と呼びます。
それも大切なことですが、理論的に純粋にベータな情報に相対するということを畏れず、そこに邁進する姿勢を持つことが大切ではないかと思います。つまり、未知のことがらを、直接体験ではなしに文字を通して、理解していく二次的体験のことです。
そして、そうした営みは、やがて未知を既知に変えていくことになります。
既知が増えれば、それだけ未知に遭遇したとき、幾分かの既知が含まれ、既知から未知を類推する勘が養われることにもなりましょう。それは読む力を幾倍にも飛躍させることになるはずです。
現実の読書(あるいは知的活動)は、純粋なアルファー読みもないでしょうが、純粋なベーター読みもなくて、実際にはアルファーとベーターの混合読みなのでしょう(それは外山氏も指摘していることです)。
教師が生徒よりも勝っているのは、既知が多い分だけ未知を類推する勘が働くこと。
しかし、未知を読む野心という意味では、現状にあぐらをかいている教師よりも生徒の方が幾分上です。

私たちは、本当に、未知を読むことができているでしょうか。