本を買うこと、借りること

「身銭を切って本を読め」という言葉を、繰り返し聞いて育った。
そのせいか、本をたくさん買い集める生活にいつの間にかどっぷりと浸かっていた。
今のようにネットの時代ではなかったので、情報は本や雑誌から集めるより他になく、郊外暮らしだったが、駅前には古本や中古CDを置いた店が必ずあり、よく通ったものだ。
土曜日は半日で大学の授業が終わるので、午後は新宿に出て紀伊国屋で立ち読みをして過ごした。意味も分からず、サルトルの本なんか買ってきて、数ページ目を通しただけで、本棚に積みあげたままにしてしまった。今は懐かしい思い出だ。
そんなこんなで、本はたくさん持っていたけれど、いったいどれほど身についたことかと思う。本は買ったが、活用となるとかなり怪しかったと思う。

今は本を買うことは全くない。読みたい本は、全部図書館で借りて読む。
身銭を切って本を買わなくても、今のやり方で不満はない。
出版業界にはあまり貢献できていないが、家に本を溜め込む心配もなく、その時々で必要な本が循環しているので、本にとっても幸せなのではないか。本棚の上で塵に埋もれているよりかは。
「本は身銭を切って…」というのは、出版業界の差し金による誇大宣伝だったのではないかという気さえしてくる。
あるいは、時代の違いかも知れない。公共図書館が今ほど充実したコレクションを持ちえなかった時代、あるいは、郊外などで図書館へのアクセスが不便であった状況などから、本を買って部屋に蔵書を持っていなければならなかったのであろう。
しかし、僕は今、徒歩10分程度の近所に小さな図書館があり、電車を使って二駅先に行けば、大きな図書館がある。さらに二駅行けば、大型書店があり、その駅の周辺には、大型書店が他にもある。
僕は定期券を持っているので、電車代をけちる必要もない。
そもそもネットでもかなりの情報を集められる時代である。
そういう社会インフラ全体の向上が、「本は身銭を切って…」という価値観と相いれなくなってきている。
もちろん、本が売れなくなって、出版業界が先細りしていくのは、社会全体の不利益だが。
しかし、個人としての賢い消費行動の選択としては「多くの本は図書館で借りて読み、どうしても手もとに置きたい本は買って読む」ということになるだろう。
むやみやたらに本を買うという時代ではなくなっているのだ。