三者面談

最近は読書時間が少ないので、かなりコンをつめて読書しています。
といっても、一日に読めるページは僅か数ページなんですけどね。

今日も、もっぱら面談にエネルギーを投入した一日でした。保護者と生徒本人との三者面談ですが、なかなか面白いです。ぼくにとっては親子の関係性を観察する唯一の時ですから。たとえば、僕と対面した席に生徒自身が座るのか、保護者が座るのか。そこに保護者と生徒の関係性が露呈します。あるいは、生徒の自立心とか主体性が垣間見えます。まずもって、主体性の無い生徒は、僕の前には座りません。
ぼくの質問は、たとえば「家ではどれくらい机に向かって勉強しますか?」といった簡単なものですが、面白いことに、僕と対面した席に座った人が決まって答えます。つまり、それが生徒であれば生徒自身が答えますし、もし保護者であるなら保護者自身が答える。もしそれが保護者であれば「うちの子は毎日1時間も机に向かわないんですよ」といった具合です。
ある母娘は、面接の間全くのディスコミュニケーション状態で、娘はそっぽ向いているし母親が何言っても知らん顔している。その親子と接していて気づいたのは、母親が母親の言葉を代弁しているような感じがすることです。つまり、自分が母親でありながら、自分は第三者のように振る舞っている。例えば、ある事柄で娘がこんな問題を抱えているという話になったときに、「(娘の行動が)~らしい話を○○さんのお母さんから聞きました」といったようなことを仰るのです。
それを聞いた僕は、すぐに返事ができません。
だって「あなたが母親でしょう?」って思ってしまうから。

また、問題の多い生徒の母親の特質として、判断を保留してしまうことが、極めて特徴的です。
たとえば、ある行動が問題であるという話を生徒を前にすると「そんなことしてダメじゃないか」と言う親が大半ですが、問題の多い生徒の母親はそういうことを一切言わず黙している場合が多いです。
つまり、自分の態度表明をしないので、それがいいのか悪いのかというメッセージが子どもに伝わることが皆無なのです。そして、そういう親は「先生から厳しく言って下さい」と言い残していくのです。
そこでは、親の正しいとする価値観や判断の押し付けがなされない代わりに、子どもの我がままは容認されつづけてしまいます。そして親自身は、それがわがままだと分かっています。
まえに、そういう子育ての問題点を改善するプロの番組を見た記憶があります。(欧米の幼児を抱える親で、子どもの我が侭を叱れず、泣き愚図る子どもを一人で寝せられないダメ母の話でした)

教師が親代わりせねばならない時代になってきているようです。