ちょっと愚痴ります

ブログの背景は向日葵で、すっかり夏モードにしてみたものの、ここ数日は雨や曇りの日々が続いている。6月にまとまった雨が降らなかった分、今降るのはいいことだと思うのだけど(だって空梅雨の年は決まって冷夏だから)、考えてみれば4年前の夏は7月になって急に34度近い猛暑になって、梅雨明け宣言が出てたよな……。そう思うと、今年の雨の降り方は、まぁ順調っちゃ順調ではあるけれど、ちょっと長引きそうなパターンだとも思えてくる。

いろいろ書きたいことはあるけれど、ちょっと愚痴っぽくなりそうなので、ちょっと抑制しないとな。
まず、授業。今は「物語創作」とか「広告批評」とか、ちょっと変わったことをやっている。詳しいことはここでは割愛するが、最近あまり授業準備に時間をかける余裕がない。学期末の忙しさは言わずもがな、さらに保護者を交えた三者面談だとか、つまんない集まりだとか、成績つけたりとか、提出物の評価をしたりとか、それでなくても忙しいっちゅうのに、キョーイク委員会のバカヤロウがへんちくりんな報告書を出せと言ってきたりして、泣き面に蜂とはこのことである。ブカツも子どもたちに勝手にやっていて欲しいんだが、子どもたちがまた自分たちでは何もできない。同じ部の顧問をしている同僚は副担任で俺より随分暇なくせに知らん顔。こんなんだから、俺も暴れたくなってくる。
でも、やっぱり家に帰って授業の準備をしているときが至福です。明日何やろうかと考えることのできる心の余裕。これこそ下流でない証です。
あ~あ。
こんな愚痴を言うために、この仕事に就いたわけではなかったはずなのに。

この仕事のいちばんの楽しみとかやりがいは、本来授業であるべきはずなのに。いちばん面倒になっているのが授業であったりするのは、この業界を覆う暗黙の了解事項です。授業は、ただのノルマとなっている。だから子どもは飽きて当然です。
やってる教師が乗り気じゃないんだから、楽しいはずがない。教師のポテンシャルは、多くの場合低いのではないでしょうか。教師の立場を弁護すれば、ある意味それは致し方ない。あまりに雑用が多くて、授業の準備をしている余裕がないんだから。職場に拘束される時間はどんなに働かない教師であっても10時間を超えます。
しかし教員は教科毎に採用されるのですから、教師の表看板は教科です。でも、いったん採用されると、教科よりも生活指導とか部活とかを表看板に出して、教科指導の看板を引っ込める教員が多いのです。そして中学の場合は、それで通ってしまうのです。それで学力調査の結果が低いと、この地域はレベルが低いから……といったことを平気で言ったりするのです。ちょっと待ってくれと言いたくなります。

そこで提案ですが、まず教師は教科指導の成果と課題を厳正に評価されるべきです。子どもや保護者からの評価を受けて、自らの課題を考えるようにすべきです。生徒から評価されるシステムを導入している私立学校は、もうすでに存在しています。公立学校の教員は、上から評価されることに慣れきってしまって、下から突き上げられなくなっている。だから上しか見ていない輩が増えるのです。

授業も中途半端なうえに、部活も中途半端になっていると、もう救いようがないです。自分もこんな感じになってるのかも知れません。ちょっと怖いです。