音楽はコード進行が大事か

音楽、ヒット曲はどのような意図で作らるのだろうか。一大巨大産業と化した今、音楽制作はビジネスとしてシステマチックになっている。

YouTubeを見れば、ギタリスト・ユーチューバーは、こぞって音楽理論やコード進行の仕組みなどを解説している。すごく勉強になるし好きなんだけれど、こうした理論だけで音楽が作れるのかな?とも思う。少なくとも、社会にインパクトを与える音楽って、それだけではない。それ以上の何かが必要だろう。(ただ、それが何かは明かされない。多分明かしようがないんだと思う。それが分かれば、誰でもヒットメーカーになっていますよね。)

音楽も社会的な文脈の中にある。そういう意味で、社会的にインパクトを与える音楽を作るというのは、製作者の世界観みたいなものが反映されるに決まっている。

どんな音楽を作るかは、その音楽製作者がどのように音楽を受け取ってきたか、その音楽を通してどのような世界観を築いてきたのかという問題でもあるだろう。

音楽をコード進行だけで語る人は、音楽をそのように受け取ってきたということであり、そのような音楽を通して世界観を築いてきたという証だろう。それを悪く言うつもりはないけれど。

ロック音楽の黎明期、ロックはまだ産業化されていなくて、社会的な文脈に対する抗議的なスタイルを旨とした。それは、ポーズや意匠なのではなく、そのような世界観から作られた音楽に、社会的な説得力があったということではないだろうか。

黒人から出発したブルースがロックへと発展し、多くの音楽製作者やアーティストが、そこに軸足を置いていたのは、まさに音楽の社会性に他ならない。

ある曲が素晴らしいかどうかは、実はコード進行だけに還元することはできないように思う。歌詞を重視する人がいるが、それは音楽の社会的な文脈を捉えようとしているに違いない。でも歌詞だけではない。曲は、ドラマの主題歌であれ、CMのタイアップ曲であれ、その時代や世界観と繋がっているから、私たちは、音楽を消費することで、時代や世界観を消費しているのでもある。コード進行もまた、社会的な文脈と切り離せないのかもしれない。