新年明けまして

あけおめ。ことよろ。
あっという間に年末が過ぎ、気づけば正月も明けてしまったという感じ。
年末年始は日本を離れていた。ネット環境もあまり良くなく、紅白も除夜の鐘も聞かない年越しだった。
クリスマスも、あまりクリスマス気分を味わうこともなく、他人事のように過ぎていった。


年末年始に面白いことは特になかったが、外国にいると、言葉ができない不甲斐なさを痛感する。
言葉が話せるかどうかは、あまり大した問題じゃないと斬って捨てる人もいるけれど、どうかと思う。
最低限の日常生活に困らない程度の会話力は必須だという気がする。
少なくとも、日本に閉じ込められたくない人間にとっては。英語ともう一言語はできるということが最低ラインではないだろうか。
それができたからって、別に人間が上等になるわけでもないだろうが、話せる言語が増えればそれだけ自由度が増すと思われる。その先の壁をどう突破するかは、その時になってから考えればいい。
そんな気がしている。

独学とノートの関係について、思うところを少し書こう。
色々な課題をこなす上で、ノートは羅針盤のようなものではないだろうか。
こんな風にしてみたいというアイデアがある。
一つのテーマ(教科)に一冊のノートを割り当てる。できれば30枚程度の薄いノートがいい。
そのノートにテーマ(課題、教科)ごとの学習記録を割り当てる。
普段持ち歩くノートは2冊でいい。このノートは仕事とは別だ。
例えば英語を勉強したいとする。するとノートの一冊は「英語ノート」になる。
ノートは時系列に記録する。学習目標(参考書等のテキスト、ビデオ教材などを、いつまでにやり終えるか)を1ページ目に書き、2ページ目からはメモを取っていく。
初めて出会った表現、単語、イディオム等の記録。
文意が読み取れなかった文章を抜き書きし、内容を理解するまでのプロセスを残す。
そんな風に記録していくと、ノートには、自分にとっての課題一覧が揃う。
それを折に触れて復習する。
教科は自由に設定する。
毎日2冊のノートを持ち歩く。仕事の帰りにカフェで勉強するためだ。
勉強する時間を作り出すために、さっさと退勤する。定時退勤が理想だ。
勉強の成果をどこかで試さなければならない。英語であれば、英検やTOEICを受ける。
こんな風にして、愚直に勉強していく。
何を勉強するかは、自分が決めればいい。
本棚には、できればノートの集積を作っていきたい。どれだけたくさんのノートが作れるかは面白い。
本棚のノート置き場は、自分の知の集積場所になっていく。それって面白いじゃないか。
今年はそういうことをやってみたいと思っているのだ。
暗算のように頭の中で考えているだけでは埒が明かない。前に進めないような感覚がある。
でも、ノートに書きながら、自分の課題を少しずつ明確な形にしていくことで、乗り越えるべき山も明確となり、問題解決が具体的になってくるのではないか。そのほうが、勉強としては面白い。
研究のように論文化していくことは必ずしも必要ないのだから。もっと別のやり方で、山を越えていく楽しさと苦しさを味わってみたらいいなじゃないだろうか。