「老眼」?「中年眼」?

不惑を過ぎて、いまだ多惑である。俺だけだろうか?
想像するに、世の中の不惑過ぎの大半は、惑いも惑いの最中ではないだろうか。
いっそ不惑をやめて多惑とでもしたらどうか。
そう言えば、最近本当に目が悪くなった。
若いころは目が悪くなるといえば、近視が進むことだったが、四十を過ぎると老眼が進むことを意味する。
しかし、それにしても「老眼」という言葉が気に入らない。
今の世の中、四十過ぎはまだ老人ではない。
老眼が老化現象なのは分かるが、四十過ぎを老いと捉えるのは、今の時代的な空気にマッチしていないのではないだろうか。
折りしも、アンチエイジングを謳う世の中である。
昨今の日本では中年女性は美魔女と騒がれ、海外セレブはいい年過ぎても若作りに懸命な様子。
洋の東西を問わず、若さを手に入れたいという思いは普遍のようだ。
経済的には、四十過ぎが働き盛りとされ、仕事においても家庭においても大黒柱としての重要なポジションに置かれる。それなのに「老眼」である。
どうせなら「中年眼」くらいの呼び方の方が穏健にも思えるのだが、どうだろうか。