一葉記念館

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台東区一葉記念館は、東京メトロ日比谷線三ノ輪駅から南方向に向かって数十分歩いた所にある。
土手通りを歩いていくと、明治二十三年創業の天麩羅屋「土手の伊勢屋」が見えてくる。その隣のは桜鍋の中江という店で、これも随分とレトロな建物。
ここを過ぎて、道路を右に渡りしばらく歩くと千束町、かつての吉原遊郭街がある。今はピンク看板の店が立ち並ぶ、ちょっと独特の通りになっていて、そこを越えればかつての竜泉寺町へとたどり着く。一葉は、この場所で、荒物駄菓子店を経営しながら一家の生計を一人で担い、場合によっては借金の工面をしながら、一方で作家修行をしていた。
一葉記念館でもらったパンフレットには、「竜泉寺町時代~塵の中での闘い」と題され、次のような一節がある。「この町に住んで、荒物駄菓子店を始めたことが一葉文学にどんなに大きな影響を与えたことか、計り知れない。それは社会のどん底に生きる人間の姿に接し、また店に来る子供達を鋭く観察し人間洞察、社会認識を深めたその体験が作家・樋口一葉を大きく飛躍させたのである。」
一葉はその後店を廃業し、本郷丸山福山町へ転居し、そこで「奇蹟の十四ヵ月」に「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」を発表した。病院嫌いだった一葉は、持病だった肺結核をこじらせながら執筆を続け、鴎外が知人の医者を紹介して、一葉の妹が病院に付き添って連れていったときには、もう手遅れだった。一葉は明治29年11月23日、24歳の若さで逝去している。

一葉の、書くことへのひたすらな情熱というか意欲というのは、ちょっとすごいなぁという印象をもった。女性の社会進出が困難だった時代、女性の職業といえば、看護婦か電話交換手か教師くらいしかなかったという。そんな中で、一葉は、職業作家として生きる道すじを模索していたのだろうか。
一葉の残した直筆の原稿を見て、いちばん驚いたのは、その流れるような筆跡の美しさ。原稿や手紙など全て筆で書かれていて、万年筆を使って書いた漱石などとは「時代が違う」といった印象だ。文字だけでなく、文体も随分と違う。明治20年代に書いた一葉の文章は古文調だが、明治40年代に書いた漱石の文章は現代的な口語だ。ところが、漱石と一葉は世代的にそれほど変わらない。一葉の方が若いくらいなのだ。
一葉は「萩の舎」で学んでいるが、文体は、そこで受け継いだ「江戸の伝統」なのだろうか。同じ世代の人間が、全く異なる文体で文章を書いているということが、とても興味深く思われた。