優しい革命者

便所の落書きなら、そこに書いてあることを疑ってかかるだろう人たちも、ネットに出ている情報はわりに「えっ? それ本当?」と案外軽く受け入れてしまうんじゃないだろうか?
頭の中では、ネット情報なんて眉唾だよ、と思っていても、無意識のうちに洗脳されていくかのように、そういう噂もある→そういう可能性もある→もしかしたらそうかも知れない
というように、噂がやがて真実であるかのように錯覚されてくるのだ。
「そんなの頭わるい人間だけの話だろ?」と思う方もいるだろうが、僕は案外この予測は多くの人に当てはまるのではないかと思っている。
やはり、情報に流されないということが大事だという当たり前の結論になってしまうのだが、そのためには、情報を受け取る側の想像力が試されているということを言いたい。人間の有り様を正しく見つめる目である。週刊誌のゴシップやワイドショー的な色眼鏡で見てしまうと、真実を見誤ることになる。
真実を知るためには、多くの想像力を必要とするのだと思う。

僕は他者への想像力というのは、ある種の「優しさ」が基本にあると考えている。
そして、ゴシップに流されることもワイドショーに煽られることもなく、人間の本当の姿をありのままに見、ありのままに受け入れようとする人たちが現実に存在する。
NHKのある種の番組は、そうした視点で、様々な問題や障害を抱えた人たちを、温かく優しい眼差しでとらえようとしている。
そういう眼差しをもった人間を見分ける嗅覚があれば、僕たちは、そういう仲間たちと心を通わせることができる。
社会は建前で成り立っているように見えて、建前だけではうまく行かない。一見建前で成り立っているかのように見える現実をするりと賢くかわしながら、強かに生きる「優しい」革命者たちが、世の中の見えないところで、名を持たず、特別な注目や賞賛を求めることもなく奉仕的な活動を行っている。
彼等の潮流にアクセスできるかどうかは、やはりその人の嗅覚にかかっていると思われる。