和田哲哉氏のコラムに寄せて

このブログを何度も訪問して下さっている方は、もうご存知と思いますが、和田哲哉氏が「男の隠れ家ONLINE」上で「文房具に寄す」と題されたコラムを連載されています。(http://otokonokakurega.net/blog/standard/128/
和田氏が以前出版された『文房具を楽しく使う』が取り上げられています。僕が文房具趣味に走るきっかけになった本の一つです。興味のある方もそうでない方も、一読されることをお勧めいたします。
最近の手帳ブームや文房具ブーム、さらに勉強法ブーム、読書ブームについては、社会学的な分析が待たれるところですが、その原点の一つとなっているのが、この本ではないかと思います(この本が一つのメルクマールを果たしているということです)。
過去を辿れば、梅棹氏の『知的生産の技術』があり、その系譜は脈々と現代に受け継がれてきています。ただ、かつてはそれが、大学などの知の現場に限定されたノウハウでした。いわば、研究の作法に関する暗黙知言語化し、明示したものでした。それが、現在、アカデミックな研究の場を離れて、万人が有する知的生産の方法へと広がりをもって受け止められているのです。大衆教育社会の現代において、知的生産の裾野が広がっていることの、すぐれて良い面ではないかと思います。
ただ最近の、手帳=時間管理のツール・仕事の進捗管理・人生の到達目標達成・・・・・・といった捉えかたについては、何か胡散臭さを感じます。ちょっと脅迫神経症的な感じすらします。
手帳ブームはいいことだと思いますし、手帳によって今後のプランを組み立てるのは、働く人にとっては必須のこと。取り立てて言うには及びません。
それよりも、手帳やノートあるいは筆記具への興味を、もっと幅広く考え、捉えていくことができないでしょうか。それは知的生活の方法に自覚的になって生きることにつながります。和田氏の志向性も、そこにあるように思われます。