手帳論

試験期間に突入しました。
野口悠紀夫氏の『「超」手帳法』を立ち読みしました。
書くことを商売にしている人間が、普段筆記具を持ち歩かない、持つのを忘れるなんてのは愚の骨頂であるといったくだりがあります。氏は百円ショップで買った筆記具をカバンにくくりつけているそうですが、筆記具にこだわるよりも大切なことは、安物の筆記具でも常に持ち歩く習慣を持つことです。
僕も筆記具を持ち歩いています。大抵はパイロットの4色ボールペンですね。
ラミーの4色ボールペンへの憧れはありますが、あまりの高価さに手が出ません。機能としてはパイロットの数百円のものと変わりないんでしょうが。
池上彰氏も、情報活用術を述べた自著の中で、安価な筆記具について触れておられます。
知的生産を日課とするものは、カジュアルステーショナリーを有効活用すべしということでしょうか。

ぼくは中学生を相手にしているので、とても高価な文房具を薦めるわけにはいきません。
もちろん高価な筆記具に対する憧れはあるのです。
そういう「世界」があるのだなということは、気の利いた中学生なら知っています。
が、実際に買うかといったら買わないでしょう。文房具趣味というのは、経済的に自立した大人だけが堪能できる世界なのですから。
万年筆がどんなに魅力的だといっても、今の中学生や高校生が日常的な筆記具として選ぶことは皆無です。やっぱりシャーペンとボールペンとマーカーが主流です。
ですから、ぼくも基本的に、安上がりなステーショナリーを使って、工夫して、勉強を楽しくする効果を狙うということに興味を持っています。
決して高価なものを狙わないというポリシーです。
いつかは、ペリカンの万年筆で・・・と思っていますが、今の所はサファリで満足しておこうということです。

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「普段持ち歩ける文房具」というコンセプトを持って、身の回りの文房具を見回してみます。
手帳は大人の必須アイテムではありますが、綴じ手帳かシステム手帳かの議論は今もってなお混迷をきわめています。システム手帳の凋落を憂いて、その復権を目指す論者もおりますし、彼らの言っていることにも面白い点は多々あるのですが、「やっぱり持ち歩けねーよなー」と思ってしまうのであります。
ボナ植木氏が述べている通り「近所のコンビニに出かけるときに、システム手帳を持っていきますか?」ということなのです。
ぼくは絶対持っていきません。
だからシステム手帳を持たないということです。
綴じ手帳とリングメモさえあれば、十分です。そしてそれらは胸ポケットやお尻のポケットに入れることができるのです。

 ここからはぼくの提案ですが、システム手帳は、「手帳」というこれまでのアイデンティティーを脱いで、システムノートなどの「ノート」へと脱皮すればいいのではないでしょうか。
つまり、時間管理としての役割は綴じ手帳に任せて、システム手帳ならではの活用法に徹していくのです。
 たとえば、資料類をストックできることは「システムノート」の利点に違いありません。
 差し替えが可能である点を有効に利用できる場面を、想定しうるだけ挙げてみれば、おのずとシステム手帳の利用は活性化されるはずです。
 そして、ノート型手帳の代表といえるのはモールスキンです。システムノートのライバルはモールスキンなんじゃないかとぼくはひそかに思ってます。資料を添付して保存する手帳、参照情報源としての手帳、そういう役割をもった手帳を意識する人にとって役に立つのは綴じ手帳型のモールスキンか、それとも差し替え可能なシステム手帳か、といったことになるのではないでしょうか。