欲しいアイテムの値段が爆あがり

インテル時代のMacBook Proを使っているが、当時25万円くらいで吊るしが買えたのに、現在はM3MacBook Pro16インチで39万円くらいに跳ね上がっている。なぜこんなに高いのか? 半導体が供給不足であったり、日本円が下がっていることが関係しているのだろうくらいのあて推量しかできないのだが、もっと専門的に詳しくわかりやすく教えて欲しいものである。

そういえば、3年弱前に購入したジェフベックのストラトだって、当時はゴールデンウィーク特価で25万円で売っていたのに、今日イシバシ楽器で見たら32万円とかしていた。この値上がりぶりはなぜなのか? 木材供給不足や日本円が下がっていることが関係しているのだろうか? これも専門的に詳しくわかりやすく教えて欲しいものである。

とにかく、欲しいアイテムが値段爆あがりなのである。

給料は大して増えないけれど、物価は確実に値上がりしている。

飲食店の値段だって、ランチは15000円くらいが相場になっている。20年前はまだ500円ランチとか言っていたのに、それが1000円ランチになり、今では1500円ランチだ。

庶民にとっては、ますます貧しくなっている感覚である。

以前だってMacBook Proもジェフベックストラトも高級品ではあったけど、まだ手の出せる範囲だった。それが今では、普通に買えるようなものではなくなってしまっているように思う。皆さんもそう思うでしょ?

ネット時代 情報が増えると私たちは自由になれない?

ネット社会の始まりの頃、様々な情報が誰でもアクセスできるようになり、社会はより民主的になると予測する言説が広く出回っていたように記憶している。

しかしネット社会が進行した結果、実際のところはどうだっただろうか。

情報が多くあるけれど、どれを信じたらいいのか分からない状況に陥っているのではないだろうか。フェイク情報の問題も無視できない。ワクチン一つとっても、ワクチンは有効だとする意見がある一方で、ワクチンによって多くの健康被害が生まれていることgから、ワクチン有害説もある。ワクチンによる陰謀論も囁かれている。このように、何を信じたらいいのか、何が本当なのか、簡単には判断できない状況が生まれている。あらゆる場面に、同じことが言えるだろう。

そう、誰もが簡単に判断できないような、もやもやした感じが生まれている。

そこを単純に割り切って論じる「荒々しい論理」がもてはやされる時代であることは、コインの裏側であるのかもしれない。ネットで論客となっているような人たちが、なぜそんなにもてはやされるのか?ということの答えがそこにあるように思う。

そして世界は民主的になるどころか、独裁に向かっている(ように見える)。それがネット社会の帰結なのだろうか?

夏の旅計画

この夏は旅しようと思っている。

これまで行ったことのない土地だ。

旅の着想を得てから、バックパッカー魂に火がついた。

まず、仕事をオフにして、一週間程度の休暇を作る。次に、旅の計画を立てる。尤も、もうすでに旅の予定を決め始めているが。

バックパッカーだから、旅の道具を揃えなければならない。

着替えを入れるバックパック、靴(ブーツやサンダル)、水着やゴーグル。

実はもう飛行機のチケットを押さえた。仕事の休暇が確定していないうちに、もう休む気満々だ。

こういう想像を働かせているときが、いっとう楽しい。

仕事の奴隷よ、おさらば。

 

 

ミニマリストの文房具

ミニマリストの文房具について考えてみた。

これまで長いこと、4色ボールペンや4+1複合ペン(4色ボールペンにシャーペンが付いたやつ)を使ってきた。

仕事では、4+1の複合ペンが1本あれば事足りる。スーツの胸ポケットに複合ペンを1本挿しておくだけでいい。

だからミニマリストの文房具といって最初に思いつくのは、複合ペンだ。

代表的な複合ペンとして、ジェットストリームがあるが、軸のゴムが好きではない。経年劣化でベタベタしてくる。これはどのメーカーのものもそうである。

だから、僕は軸にゴムを使わないペンしか買わなくなった。

現行品でいいなと思うのは、やはりピュアモルトジェットストリーム4+1であろう。

このペンは2000円と割と安価でありつつ、複合ペンの一つの完成形となっている。パイロットのリッジなど高級品もあり興味は惹かれるのだが、1万円もするペンは普段使いに向かない。せいぜい2000円までである。

さて、そのジェットストリームだが、手帳は基本ボールペン書きである。黒は授業予定、青は会議の予定、赤は出張や大事な締切などの重要事項、あるいは休日の印。緑は仕事の中でもわりと趣味的にやる仕事の予定、といった具合に色分けしている。鉛筆は暫定的な予定であったり、その日の記録やメモなどである。手書きするのは、手帳がいちばん多い。だから複合ペンで十分だ。

でも、もし勉強などで長時間筆記するとなれば、シャーペンの登場回数は増える。そのとき、複合ペンのシャーペンは少し心許ない。できれば完成度の高いシャーペンを1本は持ちたいもの。

ネットを見ていると、様々なシャーペンの名作が紹介されているが、予算を2000円程度と決めているので、数は絞られる。例えば、パイロットのS20は好みである。他にも、製図用のシャーペン、ロットリングステッドラーも興味深い。ペンてるのものも評価が高い。スマッシュとか。

いずれにしろ、シャーペンは受験生の必須筆記具である。

受験生の文房具は、基本的に最強文房具というか、完全に武器なので、受験生のお眼鏡に適う商品こそ最上ではないかと思う。

その意味で、マーカーも大切な筆記具だろう。

僕は授業で、必ず本文の大事なところに線を引かせるが、問いを導く手がかりになっている部分には必ずマーカーを引かせる。しかも問いごとに色を変えて、線を引かせている。この方法に慣れると、文章読解がかなり楽になってくると思う。

マーカーは最低5色はあった方がいい。5色あれば大抵はなんとかなる。僕はゼブラのマイルドライナーを使っている。目に優しい色合いでなかなかよい。

というわけで、必須筆記具が出揃った。

(1)ピュアモルトステッドラー4+1

(2)パイロットS20

(3)マイルドライナー5色

以上が、ミニマリストの筆記具。

他に必要なものとして、ノートがあるが、これはなんでも良い。教科ごとに使い分けるのは面倒くさく、だからといってルーズリーフも煩雑。やはり大学ノートを1冊持ち歩くというのが最強の方法であるようだ。

小さなメモ帳を持つのもいいが、僕は昔ほどメモ帳を使わなくなった。なんでだろう。理由はわからない。それほど書くことがなくなったからだろうか。ちょっとした覚書はスマホのメモアプリを使えばいいからだろう。

手書きの手帳は、仕事用の大判のものが1冊あるが、これは仕事場に置きっぱなしになっていて、普段は持ち歩かない。予定はスマホのカレンダーアプリに入れているから、昔のように能率手帳を持ちあることもなくなった。

でも最近、学習の進捗管理用に受験生と同じスケジュール手帳を使いたい衝動に駆られている。自分が何を勉強したのかをログるためである。

というわけで、必須ノートが出揃った。

(4)大学ノート

(5)学習スケジュール用手帳

スマホは万能文房具と言っていい。計算機、タイマーはスマホ1台でOKだし、文章作成もこなしてくれる。母艦としてのスケジュール帳にもなるし、本当に優れものだ。

とりあえずこれだけ揃えられれば、ミニマリストの文房具は完成である。

文房具熱が再沸騰

文房具熱が再沸騰してきました。(ここ数日、しーさー文房具チャンネルにハマっていました。)

ここ数年は、紙の手帳もメモ帳も持たなくなっており、筆記意欲を失っていました。といっても、デジタルは活用しており、スマホと持ち運べる折りたたみ式キーボードはいつもカバンに入れてはいました。結構仕事でも重宝するんですよね。

で、この前、授業で思いついて、生徒にマーカーをたくさん使わせて問題を解いてみたら、結構面白くて、自分がハマってしまいました。文解釈をめぐる微妙な問題をビミョーに語っても生徒は飽きてしまってついてこない。問題を共有している生徒なら乗ってきますが、そもそも何の話かピンと来てもいなければ、眠気を助長するだけの話にしかなりません。そんな時、本文にマーカーを引くことで、問題が焦点化されてくる。説明はできるだけシンプルな形にしていかないと、たくさんの生徒の関心と集中を一点に集めることなどできないわけです。

そこで、紙とペンが学習者にとっては必須のアイテムだなと、改めて思ったのでした。

いくらICT機器が導入されたからといって、それらが紙とペンにすべてとって変わるということはないし、そうしようとする必要もないのではないかと思いますが、その辺りの吟味なしに、なんでもICTを使えばよしとする(かなり乱暴な)最近の風潮には、いささか「?」な印象しかありません。この辺りは、現場感覚とはずれた行政的視点だけが先行した扇動に過ぎないと思っています。

さて、それでは最近再沸騰してきた文房具熱、筆記具編から参りましょう。

 

【使ってみたい筆記具】

  1. シャープペンシル]S 20(パイロット)
  2. シャープペンシル]ケリー(ペンてる)
  3. [複合ペン]4+1リッジ(パイロット)

まず、1のS20ですが、しーさーさんがイチ推ししていたことが大きいです。このシャーペン、前から知っていましたし、廉価なS3は発売当初から使っています。使いやすいと感じていましたが、改めて木軸であることと、内部構造や重量バランスなど、どれをとっても優れものだと聞いて、俄然所有欲に火がつきました。

次に、ケリーですが、これは携帯用としていいなと思ったからです。パイロットのタイムライン(生産停止)など、先端を収納できるギミックがあるシャープペンに興味がありましたが、このケリーはキャップ式で、先端が胸ポケットを痛める心配もなく、合理的設計で値段も手頃で申し分ないな、と。これもしーさーさんがお薦めしていたので知りました。

 

世間消滅後の世間

暇つぶしにショート動画を見まくっていて、日本の円高が危機だの、いやそうじゃなくてチャンスなんだとか、年金破綻は確実だとか、まぁいろいろと騒がしい。また、ホリ◯モンとか、成田◯輔とか、ひ◯ゆきとか、お馴染みの面々の動画が延々と出てくるので閉口する。フィルターバブルで、こういう動画が出てくるんだろうかと思っていたが、この前電車に乗っている時も車内の画面で彼らが出ているので、今や時の人なのだろう。

一番の違和感は、こういうネットの世界が、自分にとっての「世間」になってしまっていないかということだ。「世間」というのは、ご近所とのつながりや、町内会や村などの共同体をベースにあったものだと思う。まずは、顔の見える生身の人間たちの集まりだったのではないだろうか。でも、今、そのような「世間」は消滅してしまった。ご近所付き合いもないし、町内会の集まりなども東京都心ではまず行かない。そこで、「ネット世界」が直接的に触れ合う「世間」として、私たちの眼前に立ち現れてくる。

現代人は、ネットに情動を煽られるようになっている。しかも、幸せな気持ちを共有できることは少なくて、不安を煽られ、ナショナリズムに駆り立てられ、嫌韓や反中で意気揚々となるような思考回路が作り上げられている。

こういうタイプの動画を見ないでネット生活を送ることも可能だろう。できれば僕もそうありたいが、動画は無差別・無選択に向こうからやってくるので、いやでも目に入ってしまう。特にショート動画は。

「世間」が消滅して、そのしがらみから自由になれるのは幸せなことだと想像していたが、「世間」に代わるものとして「ネット世間」を用意してしまった。人々は、この「ネット世間」に飲み込まれ、生き方や価値観までも規範化されていくならば、これに対抗する方法をすぐに探さなければならない。

時代と音楽と、音楽の死と

「音楽は時代を映す鏡」だという。

PRINCEは革命的で本当の天才!名盤Purple Rainの中からマーティが選んだ一曲とは!?【1985年】 - YouTube

確かに。そうであれば、ミュージシャンは時代の空気を読み取り、新しい音楽を常に創造することが求められる。

自分のような素人は過去のヒット曲をコピーするくらいしかできないが。(だから、オリジナル曲を作るバンドの人たちにはちょっと及び難いというか、ハードルの高さを感じている。)

でも、多くのミュージシャンは過去の曲を演奏している。あれって自分の曲ではあっても、基本的にコピーと変わらないのではないだろうか? 過去の自分をコピーしているのである。セルフ・カヴァーと言い換えても意味がない。

最も、ミュージシャンも商売しなければならないから、自分の過去のヒット曲を演奏して、お客さんに来てもらわなければならない。そういう理由もあるだろう。

でも、新しい曲を作れなくなったら、ミュージシャンも我々素人のコピーとそう変わらないんじゃないだろうか? 演奏能力に違いはあるとしても、その精神性において。

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これも古い曲だが、リズムやメロディを実験的に組み合わせながら、曲を作っていったんじゃないか?と想像する。誰でも口ずさめるメロディ、軽快なリズム、ギターの味付けなど。そう言う創造に情熱を注ぐことがミュージシャンの本分かもしれない。

それを言うなら、ビートルズこそ実験の数々を高いレベルで完成させてきたグループだろう。

The Beatles - A Day In The Life - YouTube

音楽の精神性といくことで、今更ながら注目したいのはPrinceだ。

多くのミュージシャンが彼を「天才」と言い、クラプトンにとっては「一条の光だった」とコメントしている。確か90年代にプリンスが来日公演を行った時、テレビで放送されたのだが、その間に挟まれてプリンス批評をしていたアーティストの一人がクラプトンだった。ブルースのクラプトンが、どうしてプリンスを批評するのかその時はよくわからなかったし、その後もよくわからなかったが、プリンスが亡くなった時の追悼記事を読むと、当時音楽ビジネスに嫌気がさしアル中だったクラプトンがカナダで映画「パープルレイン」を見て感激し、ビールの空缶が転がるホテルの部屋に戻ってHolly Motherを書いたという。

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Eric Clapton - Holy Mother HQ Live in Birmingham, England July 1986 - YouTube

何か、精神のリレーとも言えるようなミュージシャン同士のスピリチュアルな繋がりに感動する。いや、それは別にミュージシャン同士でなくとも、我々一般人にとっても、十分すぎるほどスピリチュアルな繋がりを与えてくれるものだろう。

音楽が、そのようなスピリチュアルな意味合いを失い、商業的な記号として消費されるだけになったなら、音楽は死を迎えることになるのだろう。