高級品を普段使いしよう

エルメスのバッグは高級ブランドとして有名だ。
そのエルメスが、買い物袋として使えるエコバッグを17万円で発売したとしたら、あなたはそれを買って使えるだろうか。
今は、レジ袋を辞退して、持参したエコバッグに買った品物を入れて帰る人が増えつつある。そんな中、あなたは17万円で買ったエルメスのエコバッグに、ネギだの惣菜だのを詰め込み帰宅するのである。無造作にネギを突っ込んで、ルンルンで帰れる人は合格。袋にネギの汁が付かないようにと気がかりになる人は不合格だそうである。
年収2000万円の人にとって、17万円のエルメスのエコバッグは、年収200万円の人にとっての1700円のバッグに過ぎないそうだ。そういう人こそが、エルメスのエコバッグをエコバッグとして使える権利を有す。
年収200万円の人には、エルメスはエコバッグとしては使えない。
 
この挿話は、例えばギターのことについて当てはまる。
5万円で買ったギターは、普段使いのギターとして使い潰すことができる。
傷のひとつやふたつ、勲章のようで恰好いいとすら思い、無造作に扱うことは容易い。ではその人は、68万円もするマーチンの限定クラプトンモデルのギターを、普段使いできるだろうか? 多分できまい。しかし普段使いできる人こそ、このギターを買うべきで、床の間に飾っておきたくなるような人は、このギターを買う資格が無いのかも知れない、ということになる。最近、そんなことばかり考えている。
ここで問題にしているのは、道具を道具として使うこと、なのである。
例えば、万年筆のブームが起こって久しいが、7万円相当するモンブランの万年筆を、普段使いできない人には、この万年筆を持つ資格は多分ないだろう。
普段使いすれば、傷も無数に付くだろうし、ペン先の磨耗も著しかろう。しかし、そういう使い方をした人にこそ、この商品の本当の価値は語りうるものかも知れない。
そう思えば、僕たちは、どんな高級品を手にしても、それを普段使いとし、良いところも悪いところも、すべて飲み込む気概が必要だ。
僕はいま、クラプトンのギターを普段使いし始めている。