年を取り、世代交代し、それでも自分の人生を生きること

キッシュの発祥は、フランスのロレーヌ地方とのことである。(テレビ東京の旅番組の情報。夏樹陽子さんは、とても若々しいですね!)

年を取ると、いつのまにか若者に代替わり。
一つのプロジェクトが、若者世代に受け継がれていく。

これを「伝統」という。

しかし、こういった受け継がれは、陳腐化するのが必然だ。なぜなら、前例の踏襲に過ぎなくなるから。そこには、生き生きとした迷いや選択の苦悩がない。ぎりぎりの迷いの中で、あるひとつのものが選ばれる苦悩、そこで試される判断。そこに、輝かしい生のリアリティーがある。
「伝統」がしばし陳腐に映るのは、そうした迷いや、選択の苦悩や、一か八かの判断がないからである。
学校という場所は、何かと伝統を鼓吹するが、大方「化石」の賛辞に過ぎない。
長い伝統を誇る連中を恐れることなかれ。
所詮、前例を乗り越えられない、弱腰の、ひ弱な輩の、頑なな鎧に過ぎないから。

人が、第一線で活躍できる時は短い。
絶世の美女も、いつかショボくれた皺々のばあさんになる。
諸行は無常なのである。

そうであるなら、自分の生を全うせよ。
生を諦めて自殺した永田議員を、ちっとも好きになることができない。ふざけるなと言いたい。

乳がんの家系に生まれ、自分が乳がんになって死ぬ可能性を少しでも減らすために、自分の乳房を切除してしまうアメリカ人女性の話題を今日のYahooニュースで読んだが、そっちの方が余程マシだ。
自分の人生を生きよ。自分の人生を生きた人だけが、世界を元気づけられるのである。