ユナイテッドビーズのレザーノートカバー

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昨日コレクトのノートカバーを紹介したのですが、今日ユナイテッドビーズのレザーノートカバーを注文してしまいました。昨年話題になった『東大合格生のノートはかならず美しい』の続編である『東大合格生のノートはどうして美しいのか』を読んでの衝動買いです。
著者の太田あやさんは「ノートはとらなきゃいけないものなのではなく、楽しいから書く、書くから楽しくなる、といったもの」と指摘されていますが、多くの東大生はもとより、文豪とよばれる作家たちやノーベル賞受賞者たちのノートなどを見ると、なるほどと頷けます。
自分なりにノートの技法を身につけて発展させていくことが、自分史そのものでもあり、現在の自分を常に支えてくれる力となり得るのだということを、改めて考えさせられます。
はるか昔小学生だったころの「家庭学習帳」の記憶が蘇ります。
担任だった山本先生の出す宿題は「家庭学習」をしてくることでした。
一冊のノートに、勉強したことをまとめて翌日提出します。何を書いてもいいのでした。
ある児童は漢字練習をしてくる。ある児童は計算ドリルを解いた答えを書いてくる。ある児童は・・・といった具合。
そして山本先生は、提出されたノートを見ながらハンコを押してくれるのでした。
そのハンコがイケてました。山の形をしたハンコなのですが、大きさが三種類あるのです。
小ハンコ、中ハンコ、大ハンコ。
別にABCでも良かったのでしょうが、皆大ハンコを押してもらいたくて、頑張って勉強してくるのです。そして、毎日ノートに押されたハンコを見て、「やった今日は大ハンコだ!」「残念、今日は中ハンコだ(涙)」などと嬉々とするのです。
今の子どもたちが、こんなに素朴に反応するとは思えないですが。
「ノート作り」ということが、勉強の一つの、しかし大きなルールだったような気がします。
よく「勉強の仕方が分からない」という子どもがいますが、勉強の仕方とは「ノートの作り方」と言い換えて考えると、ぐっと迫ってくるように思えます。ノートになにがしかを書く喜びを感じることで、勉強への動機付けが生まれ、勉強とはこうするものという鋳型が形成されてくるのではないでしょうか。
大村はまが大切にした「学習記録」もまた、ノート作りへの愛情そのものだったような気がします。