映画「インターステラ―」をみた

今年は、あまり春らしい気分を感じられない4月の始まりとなった。
週末はめちゃ寒すぎた。
桜の花も、せいぜい五分咲き程度で、都心の名所も2分咲き程度の木が多かったぞ。
しかも、今日は雷まで鳴る春の嵐となった。
新しい年度となり、職場も入れ替わりがあって、ちょっと華やいだ雰囲気になった。


先週末は、久々に映画を見た。
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僕は、この映画を精神分析的な観点で見た。
地球は作物が涸れ、砂嵐がひどく、もう先がない。人類の未来はないという状況。
学校で上手くいかない娘を抱える父(主人公)。娘は霊感が強く、霊界からのメッセージにひかれている。
そんな折、主人公の父は、間もなく滅びようとしている地球の人類を救う為に、新たな惑星を求めて宇宙へと飛び立つ。
娘は父と離れることを認めない。霊界から「STAY」のメッセージが送られてきたことを父親に伝えるが、父は聞こうとしない。
主人公は、ワームホール(※空間をワープできる)で銀河系とは異なる惑星に向かう。
惑星に降り立つと、そこでの1時間は地球上での7年に相当する。
時間を失えば、主人公は地球に残してきた娘と再会するチャンスを失う。
自分を捨てて人類に貢献するという意志とは何か。
地球から宇宙船に送られてくる映像を主人公は見る。まだ中学生だった娘は、成人して大人になっている。息子は結婚して赤ん坊が生まれると言っている。その息子、娘の映像を見ながら、主人公(父)は涙を抑えることができない。
改めて、自分を捨てて人類に貢献するという意志とは何か?と思わずにいられない。
さらに、同じミッションを持って宇宙に飛び立った仲間。彼女は直観を信じるといった。直観は神の意志であると。
しかし主人公は、理性の判断を信じる。しかし、その結果、仲間の裏切りにあう。
直観と理性の対比が、モチーフの一つになっている。
やがて、地球に戻るための決死のダイブ。主人公は仲間を行かせ、自分は宇宙の藻屑となる。
自分を捨てて、人類に貢献する意思を貫いたのだ。
しかし、ブラックホールに吸い寄せられながら、主人公は奇妙な体験をする。
時間と空間が螺旋階段のように階層化された時空間に彷徨い出る。
そこで、過去の自分と娘の姿を見る。
自分は本棚の裏側から見ることしかできない。声は娘には届かない。
そこで、モールス信号などの信号を送る。主人公はSTAYのメッセージを送る。娘はそのメッセージを受け取るが、父親(過去の自分)は娘の説得を聞かず部屋を出て行ってしまう。
どこか、死を連想させる。
死の直前、人は過去の記憶を一瞬にして生きなおすのではないだろうか。

西欧のキリスト教社会における世界観や自我の在り方を、メタレベルで批評しているかのような内容に感じられた。
もう一つは、ユーモア。
ロボットのユーモラスな会話と動き。
ユーモアが、どれほど大事な要素になっているか。
こういうユーモアのセンスは、日本にはないものではないだろうかと思った。