「怒り」をエネルギーに変える

「怒り」という感情は、マイナスの感情なだけだろうか。
仏教的な教えでは、人は「怒り」を手放さなければならないと説かれる。
怒りを手放し、思いやり=慈悲の心を育てろ、と。

しかし、最近僕は思うのだが、怒りも人間らしい感情の一つであり、もっと尊重すべきではないのか。
怒りというと、破壊のイメージがあり、否定的な感じがするが、
世の中には破壊した方がいいものもある。
悪しき慣例はなどは、そのいい例だ。

怒りが建設的な未来に向けてなされるものであるなら、それはとても大きな意味を持つ。
怒りが政治を変えたり、社会を変革する力になることもあるではないか。
昔、岩波新書の「怒りの方法」という本を読んだことがある。
そのときは、怒りを美化しすぎていてキモチ悪いと思ったのだが、今は別の見方ができるような気がする。

最近僕は、職場の不合理をなんとかしたいと思っていて、
自分の中で怒りが変革のパワーになっているように感じられる。
それも悪くはないんじゃなかろうか。
そのかわり、人に対して怒りを感じることを自分に禁じている。
遠山の金さんじゃないけれど「罪を憎んで人を憎まず」。
怒りが人に対して向かうと、負の連鎖を引き起こすように思える。
あくまで、制度や慣習、無理解によって引き起こされる不合理、
そういう事象に対して怒りを持つという姿勢を貫こうと思う。