居酒屋社会学

酒席にヨバレル機会が多い。
しかし、なぜこんなに皆飲み会が好きなのだろうか?
もちろん楽しいから、好きだからと言う人もいるだろうが、すべての人がそうだとも思えない。
僕は、日本の共同体形成と酒宴の因習との関係について社会学的な考察をすべきと思っている。
僕はひそかに、これは一種の「禊」なのではないかと思っているのだ。

自分はこれまで飲み会が好きだったのではなくアルコールが好きだっただけだと悟った。
そして酒を卒業した今、飲み会では理屈の通らない話ばかりしていて、ちっとも面白くないと感じている。
正義はへし折られ、その場にいない誰かが槍玉に上がって口撃される。
そして、その場にいる者たちの一種のカタルシスの場と化す。
これだ、飲み会の本当の存在理由は。

飲み会では、酒が入った勢いで、威勢のいいことを言う者がおり、それを茶化したり、権威を転倒させることで笑いを生み出し、その笑いの渦が場を飲み込み、ある種の空気を作り、皆が一様に陶酔するプロセス。
日ごろ権威に平伏している庶民が、この場とばかりにその鬱憤を晴らそうという集合的な無意識が作用している。
そのためにこそ飲み会が存在しているのではないだろか。
そうでなければ、日本の盛り場にどうしてこれだけの居酒屋が存在し、商売が成り立っているのか説明がつかない。
庶民のカタルシスを飲み込み、喧騒を許す場としての居酒屋。笑いと愉快さ、賑やかさが満ちており、人々を引き付けずにはおかない圧倒的磁力を放つ場としての居酒屋。そのイメージが人を居酒屋へと引き付ける。
しかし、その笑いも愉快さもまやかしだ。所詮、庶民のねじけた根性が生み出すカタルシスにすぎない。
そして、誰もが居酒屋のイメージがもつ力の背後にあるものに無自覚なのである。

僕は、権威も嫌いだが、ねじけた笑いも好きではない。
だから、飲み会が嫌いなのである。