何も刺激を受けられない話

今日の一曲はこれ。


今日の寺島リレー塾は、法政大学の先生による日ロ関係の講義だったのだが、殆ど話の内容を理解することができなかった。外国語で講義を聞いているかのようだった。
専門的な予備知識を持たないために、話の筋が追えなかったとも思うし、仮に予備知識があったとしても、ちょっとやそっとの知識では、今日の話から何も受け取ることができなかったのではないだろうか。
(つまり、それくら半端ない知識を持っているエキスパートじゃないと、今日の講義の内容は理解できなかった)
そういう予備知識を前提とした話は、ちょっと不親切だなとも感じた。
専門家ではなく一般の聴衆を対象とした講義である。専門的な予備知識を持たない聴衆もいることを想定して、簡単な説明なり、思考の枠組みを示しながら話してくれてもいいのではないだろうか。
そして、もう一つの可能性は、仮に専門的な知識を半端なくもっていたとしても、先生の話そのものがつまらないものだった、というもの。
構成も展開も全然練られておらず、話のオチもなく、新しい情報価値のある話もなかった。それゆえに、専門的な知見の繰り返しにすぎず、専門家が聞いてもそれほど聞くべきところのない話だったというもの。
まぁ、どちらでもいいや。
自分はお呼びではない客だったのだ。
何も刺激を受けられない話を聞くことが、たまにある。
自分に受け皿がなかったということかも知れないし、相性が悪かったのかも知れない。
とても残念なことだれど。