心の声は自分でもなかなか聞き取れないもの

自分の非力さを認識し、運命をコントロールしようとするのではなく、何か大いなるものに委ねて、正直に、実直に、前向きに生きていくことが今の目標だ。
人間というのは、弱く、悲しく、可笑しい存在。

今日は特に書きたいことがないが、何か書いてみる。

子どものころは、運命に身を任せて、偶然や自然の成り行きをそれなりに楽しんで生きていたと思う。
しかし大人になるにつれ、小賢しい知恵がつき、もっと物事をコントロールできると傲慢になっていた。
他人も、心の底では馬鹿にしたり軽蔑しながら、適当にコントロールすべき対象としか見ていなかったかも知れない。
今も職場の人間に対しては、そういう考えで付き合っているのかも知れない。
建前で付き合えばいいと思っていて、その証拠に、心を通い合わせる相手ではないとはなから思っている。
これでは、社会的な人間関係が構築できるわけもなく、孤立しがちで、うさを晴らしたくもなるというもの。アルコールはやっぱ逃げだったということだな。
十数年かけて依存症になったのだから、同じ年月をかけなければ元に戻らないのだろう。一朝一夕に回復など虫のいい話だ。
だから、基本のキである「今日一日を飲まないで過ごそう」の言葉に忠実に生きていこうと思う。

今の希望は、誘惑に近寄らないということだ。
酒はもちろん、他の誘惑にも近づかない。心がすぐに折れてしまうから。
そして、毎日正直に生きていくこと。それだけを自分に課そうと思う。
酒以前に、俺は自分でも無意識に自分を欺くのが巧みになっていたのではないか。
自分でも気づかないうちに、自分の心を偽り、欺いている。
本当の自分の心の声が聞こえなくなっていたのかも知れない。
だとすれば、自分の心の声に耳を傾けるときが来たということか。
それは、じっと耳を澄まさなければ聞き取れないほど、小さな声なのかも知れない。
アルコールに痺れているうちは、その声を聞き取ることができなかった。
あるいは無意識に聞こうとしたくなかったのかも知れない。
自分の心は自分がよく分かっているなんて嘘だ。精神分析学の世界では、常識だろう。無意識は、自分では自覚できないものなのだ。

今日も駄文、ご清聴ありがとうございました。