手帳で人生の目標は達成し辛い

最近の手帳術の話って、年度内の予定だけでは飽き足らず、人生の予定って話にまで膨らんでいるのは皆さんもご存知の通り。人生の目標やプランといった壮大な話になってくると、「おおお~」って驚いてしまう。
「なんて賢いんだ、手帳君!」と言いたくなるのである。嫌味でもなんでもなく。
ボクも手帳を使いこなしたい人のうちの一人である。ところがどっこい、人生のプランなどと言われると頭が痛くなってくる。
人生のプランどころか、来週の予定すらままならない。
仕事に忙殺されているうちは、いろいろと言い訳もできるのだが、仕事が暇になって余裕が生まれてくると、かえって焦ってしまうのは貧乏性の性だろうか。
今何していいかわかんないぞ状態になるのが何より怖い。
こんなんでいいでしょうか、と神の足元にでもすがりたい気分になる。
こんなボクに、人生の目標だのプランだのの薀蓄を語る資格はないだろうよ。
そう思って開き直ってしまいたくなる。
仕事は締め切りがあるから、血相変えて頑張るのだよ。
締め切りがあることで、生活は途端に生気を帯び始める。
締め切りのない目標は、それがどんなに崇高であれ壮大であろうと、無に等しい。
これはボクの貧乏性の性格が招いた自業自得の結果なのかも知れないが、締め切りに追われることで辛うじてなんとかやりくりしている現状から言って、人生の目標などという漠然とした目標で、自分の生活が変わるようには思われないのである。
よって、手帳で人生の目標を管理するといった素晴らしい話には、近寄らないことに決めた。
あえて言えば、自分の目標を週刻みの小さな目標にブレイクダウンして、締め切りを意識せざるを得ないように自分を追い込む仕組みを作ることが、ひいては手帳にも反映され、有効なのではないだろうか。いかにブレイクダウンし、手帳にタスクを書き込むかが、その人の腕ということに相成るのかもしれない。