しばらく更新してませんでしたが・・・

4月から新しい環境に移って、全てを一からスタートさせたのですが、やがて新しい生活に慣れました。
職場から逃げ帰るように一目散に自転車を飛ばして帰るあたりは、昔と変わりません。
今年は日記をきちんと書こうと思っていましたが、ふたをあけてみれば日記どころかブログの更新もままならず。かつてのように読書するわけでもなく、ただ毎日が過ぎていきました。
今は「似水年華」にハマり、毎日観ています。目的は語学でしたが、ドラマにハマりました。
また、昨年まではチベット仏教とイタリア料理を習っていましたが、今はクラシックギターを習っています。もちろん、チベット仏教やイタリア料理への関心は今も昔と変わりません。
日本の大学で研究職につくことが自分にとっての最終目標だと思ってきましたが、今はそれがよく分からなくなっています。そもそも日本の大学は、それほどレベルが高いのでしょうか。もちろん、この国の中から見ただけでは、その結論は得られるべくもありません。

僕は今でも大学受験前の切迫した時期を夢に見ます。
あの頃は、本当に東大や早稲田に行くことが自分の将来を約束してくれると思っていた。
今もその頃の怨念が残っていて、変な夢にうなされたりします。
でも、ようやく分かってきたのは、そういう成功観念そのものが、この国のある時代背景の中で醸成されたものであり、絶対的なものなどでは決してないということ。同じ今を生きる他国の人々にとっては、そんなことは知るべくもない「取るに足らないこと」であって、また、彼等の方が自分より、今を生きる喜びを知っているのではないかということを、しばしば考えるのです。
少なくとも、そう考えられる方が幸せです。
今は排球部の顧問になっていますが、最初はなんだかよく分からないスポーツだと思っていました。
でも、今は、排球の魅力を少しながらも知っている。そういうことに、自分の成長を感じるのです。
今年度になって、本を読まなくなりました。
知的怠惰には違いないのだけれど、少しも悔いていません。今は、本から得る情報よりも、自分の肉体と対話し、精神と対話し、目の前にいる子どもたちと対話する中で得られることの方が、はるかに有益な気がします。
それは自分にとっては自然で、無理がないスタンスです。
それを怠惰と呼ぶなら、それでよろしい。
僕はまったく気にしません。怠惰であろうとなかろうと、どうでもよい。僕は、今の環境の中で感じうること、知りうることを、目を凝らして見ようとしている。その観察こそが、今の自分にとっての学習である、そう思っています。
日記を書かないことの正当化にはならないかもしれないけど、今の自分の考えを素直に書いてみました。