クレーマー化する人々

医療や教育の現場でのクレーム対応は、きっと急激な勢いで増えているのだろうと思う。
医療事故や教育現場の混乱が連日のように報道され、大方の一般の人は「一体何をやってるんだか・・・」と呆れて声にもならない声を漏らされているのだろう。
しかし、医療現場や教育現場は、それほど疲弊し混乱しているのだろうか。だからマスコミによる、これほどの報道がなされるのであろうか?
「それは否である」というのが僕の考えである。

そもそも何かの問題が起こったとき、今の社会は、その責任を、その問題の真っ只中で奮闘している善意の当事者を責めるという構造になっている。
医療然り、教育然り。
例えば「公園で小児が遊具に指を挟まれて切断する」という事態に陥ったとする。
その時、この小児の事故の責任は、誰にあるのか。
それは、その公園と遊具を設置した自治体の責任である。管理責任を果たしていないではないか、ということになるだろう。マスコミは、間違いなくそのような論調で報道するだろう。
本当にそうだろうか?
そもそも、その遊具を通常の遊び方で使っている限り、子どもが指を挟むことは想定外だったのかもしれない。その遊具のある部分に小児が小さな指を乗せるという「想定外」の出来事の結果、事故は起こったのかも知れないのだ。
逆に言えば、子どもは「想定外」のことをやらかして怪我をしたり危ない目に遭うものである。そういう認識が大人の側にないから、自治体の責任などと言い出す。
それなら、なぜそこで小児だけで遊ばせたのですか。なぜ傍についていてやらなかったのか。と一言親に言うべきだろう。
そういうことを、マスコミは絶対に言わない。
それはタブーだからだ。
今の時代、問題の責任は、病院であり学校であり省庁であり国である。そうしておけば、無難なのである。
自分の子どもを守る気遣いに欠けた親の非を責めるなど、タブーなのである。
このような状況で、親がクレーマー化するのは自然の道理というもの。
子どもが傷ついたのは、町や市や国の管理責任の非である。
親は、そう言わざるを得ないように仕向けられている。
そう言わなければ、自分の非を認めることになる。
自分の非を認めたいと思う人は、まずいない。
親でさえ、というか親であればこそ、子どもを傷つけてしまった責任が、自分にあることは絶対に認めたくはない。だから、親はクレーマー化するのだ。
一事が万事、こうした責任の回避は、クレーマー化という現象につながっているように思われてならない。