郵政民営化ですか

郵便局が民営化される。すると、他の民間会社と同じになるのだから、路上のポストに対して、これまで徴収されてこなかった道路使用料が課せられることになる。ポストは減ってくる。利用者の少ない山村では、ポストがなくなる日もくるかも知れない。採算に合わないことが切り捨てられていく。それが市場原理の問題点の一つである。
ドコモなんかの場合は、人里離れた山奥でも電波が通じるようにと電波塔を建てるわけだけど、これなんかは、NTTが民間でありながら公的な使命を担っているからで、半官半民的であるとも言える。郵政公社も今後はNTT的になるのかどうか。
しかし、教育については、このような市場原理を剥き出しにしてしまうと、ちょっと問題が多すぎる。そもそも教育というのは他の商売と同列に議論できるものか? ということがある。塾や私立学校は激しい競争にさらされ、経営努力を迫られている。その結果成果を挙げている、だから公立も私立を見習って競争しろ! という。でも成果を挙げられなかった学校は淘汰されてしまったのだから、今生き残っている学校は比較的マシなやつだったということであって、それを見て、公立より私立だというのは間違いだろうと思うのだが。同程度の失敗例を沢山作って、その犠牲の上に一部の成功例を導き出して得意になってもしょうがないじゃないか?

そもそも学校を競争させると、子どもの学力が上がるというのは本当だろうか? 条件が違うのに、どこを基準にして競争させるのか? 学力だろうか。そして学力が低かったら、どうするのだろうか。教師の努力が足りないと言って、教師をクビにしたり給料を下げたりするのだろうか。
ある区では、学力調査の際、出来ない子どもを欠席させて平均点を操作したり、事前に問題漏らしたりといった工作を行って、教育委員会ぐるみで不正行為を行った。学校を競争させると、そういう変なことになってしまう可能性が非常に高いと言わなければならない。
北欧の国では、学力調査の結果学力が低いと判断されると、手厚い予算措置がついて、学ぶ環境の向上が図られるのだそうだ。そこには「競争をさせて学力を上げる」という発想ではなく、誰もが同等に学ぶ権利を持っているのだから、その権利を保障しようという発想がある(詳しくは福田誠治氏の著作を読まれたし)。

今日本の社会は、市場原理によって各自の幸福をもたらそうという方向に動いている、と上田紀行氏は言う。教育も例外ではない。
今日首相の所信表明演説があったが、まぁ誰が首相になっても同じことを言うだろうという印象だ。問題は、これから先、市場原理で解決していく方向に向かうのか否かである。年金や保険や医療は、高齢化と格差化が進むなかで、この国に生まれつつある弱者を救済するということだが、大切なのはそれだけではない。もっと重要なのは、この格差を作り出し固定化するように働いている隠蔽された力を、かの首相がどう見ているかではないだろうか。